レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/07/19
- 登録日時
- 2015/08/01 00:30
- 更新日時
- 2015/12/03 12:28
- 管理番号
- 6000023221
- 質問
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解決
①千里川に架かっている橋で、明治橋・新大正橋・昭和橋の名の由来を教えてください。(特に大正だけ新がついているところ)
②羽鷹池公園の名前の由来について教えてください。
- 回答
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①『グラフとよなか』NO.16(1980)p.15に「千里川上流の、欄干の付いた大きな橋は、つくられた時の年号をとって、「明治橋」、「大正橋」、「昭和橋」と呼ばれています。」とある。
『豊中の史跡たずね描き 郷土史資料』(福西茂著豊中市立教育研究所)p.25-26に、明治橋、昭和橋に関する同様の記述とともに、「新大正橋」については「 桜ノ町二・三、中国自動車道 もとは、大正時代に架けられた橋であるが、中国自動車道開通のため、鉄骨の大きな橋が昭和四十五年一月に架設された」とある。
②豊中市のサイト 施設案内>公園>北部>羽鷹池公園 に、「少路地区では、平成3年(1991年)から土地区画整理事業を進める中で、市民の皆さんとの話し合いを重ねながら、羽鷹池を活用した自然環境保全型の公園づくりを行ってきました」とある。
「羽鷹池」の名前の由来は、『とよなか 羽鷹池の自然』(羽鷹池の自然を守る会¥/編)のp.5に、「羽鷹池は豊中市の北部少路地区にある農業用水池(下池の池面2.1ヘクタール、上池と合わせて約2.8ヘクタール)で、周辺の田畑・竹林などを含む約20ヘクタールは、農村時代の豊中の姿をそのまま残している。東北部の千里丘陵から西に千里川に落ちる山襞の谷(羽鷹谷)の名がそのまま池の名になったといわれている。」とある。
「羽鷹谷」について触れられている資料は見つけられなかった。
なお、『新修豊中市史 第3巻自然』(豊中市史編纂委員会/編)の付図1「豊中の地形分類図」を見ると、羽鷹池周辺が崖錐であることが分かる。本編p.24に「千里丘陵や刀根山丘陵などの丘陵地では、谷底平野が細長く分布して地形を開析(原初の地形に数多くの谷が切れ込むように河川が浸食する作用)し、それによって堆積した地形である崖錐が、斜面下部から谷部の谷底平野に連なるように樹枝状に分布している。またこの谷筋の下流部などには、ため池が多く点在している。」とある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『とよなか 羽鷹池の自然』 羽鷹池を守る会/編 羽鷹池を守る会
- 『新修豊中市史 第3巻』 豊中市史編さん委員会/編集 豊中市
- キーワード
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- 豊中市
- 千里川(センリガワ)
- 羽鷹池(ハダカイケ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土,地名
- 質問者区分
- 庁内
- 登録番号
- 1000177919