レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年2月25日
- 登録日時
- 2023/02/25 15:24
- 更新日時
- 2023/12/19 16:57
- 管理番号
- 塩尻698
- 質問
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解決
塩尻市東地区にあったという長福寺についてわかる資料はあるか。
- 回答
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次の資料を提供した。
【資料1】『塩尻市誌 第二巻 歴史』p457
【資料2】『塩尻市誌 第四巻 民俗・文化財』p434 「永福寺観音堂」に永福寺は長畝の地に臨済宗長福寺として再興されたと伝えられ、(中略)寛永十一(一六三四)年に宗旨を真言宗に変え、宝永元(一七〇四)年に現在地に移り、享保二(一七一七)年に寺名を永福寺と改めた(慈眼山永福寺史より)」との記述あり。
【資料3】『慈眼山永福寺史』p8~ 「二、永福寺の中興と変遷」に長福寺の詳細な記述あり。p20に「享保二年(一七一七)に長福寺が現在の寺号の永福寺に変更された理由は正徳元年(一七一一)に徳川八代将軍吉宗公の長男に幼名長福丸という人が生まれたのであるが、この人は後に九代将軍家重と成った人である。そのために領主である松本の水野忠周の指示により、長福丸殿に遠慮して、当寺の長福寺号を永福寺と改めたのである。との記述あり。
【資料4】『観音札所百番めぐり 松本平・安曇野・仁科の里』p42~「十七番 慈眼山 永福寺」「筑摩札所唯一の馬頭観音」の記述あり。
【資料5】『信州筑摩三十三ヶ所観音霊場案内』p42~長福寺から永福寺に至る経緯の記述あり。
- 回答プロセス
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塩尻市誌索引から長福寺をひいたところ、『塩尻市誌第二巻 歴史』p457に「寺伝によると永正九(一五一二)年、文明という僧が来て住みつき、大永元(一五二一)年長畝に一寺を建立した。これが永福寺の前身であり、当時は長福寺といい臨済宗だったのではないかという」との記述あり。【資料2】にも記述があった。
塩尻市関係の蔵書から「永福寺」でキーワード検索したところ【資料3】をみつけた。
また、郷土の寺社に関する資料を確認したところ【資料4】【資料5】に記述が見つかった。
- 事前調査事項
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家の近くに長福寺跡があるので興味を持った。現在は跡しかないが歴史を知りたい。
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 各宗 (188)
- 参考資料
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【資料1】塩尻市誌編纂委員会/編集 , 塩尻市誌編纂委員会 , 塩尻市. 塩尻市誌 第2巻. 塩尻市, 1995-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I072197917-00 -
【資料2】塩尻市誌編纂委員会/編集 , 塩尻市誌編纂委員会 , 塩尻市. 塩尻市誌 第4巻. 塩尻市, 1993-00.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I072607733-00 -
【資料3】永福寺本堂再建実行委員会総務会. 慈眼山永福寺史. 永福寺本堂再建実行委員会, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000091570-00 -
【資料4】窪田雅之 著 , 窪田, 雅之, 1956-. 観音札所百番めぐり : 松本平 : 安曇野 : 仁科の里. 信濃毎日新聞社, 2021.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I031291931-00 , ISBN 9784784073764 - 【資料5】塩尻写友会/著. 信州筑摩三十三カ所観音霊場案内. 信州筑摩三十三カ所観音霊場案内, 1994.
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【資料1】塩尻市誌編纂委員会/編集 , 塩尻市誌編纂委員会 , 塩尻市. 塩尻市誌 第2巻. 塩尻市, 1995-00.
- キーワード
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- 長福寺
- 永福寺
- 塩尻市
- 駒形馬頭観音
- 長福丸
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 小中学生
- 登録番号
- 1000329357
- 関連ファイル