レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年06月20日
- 登録日時
- 2024/01/20 16:33
- 更新日時
- 2024/03/05 16:21
- 管理番号
- 広県図2023042
- 質問
-
解決
広島にあった大日本帝国陸軍の「第五師団」に所属していた人物の戦争体験、戦後活動(戦友会)の記載がある資料を探している。
- 回答
-
関連する資料は、次のとおりです。
なお、個人の手記については合理的な検索手段がないため、調査できません。
『歩十一会名簿』歩十一会/編、1974【H39/H81】
ページ付けなし 歩十一会のはじまり
「(略)歩十一の営門をくぐった者のゆかりの会「歩十一会」が誕生し、(略)」
『iA隊の記録』松岡巌/編著、元歩兵第11連隊歩兵砲隊会、1975【H39/I11】
ページ付けなし 発刊によせて
「(略)生き残りの戦友達の会を作ろうと話しあって別かれて、(略)第一回のIA会の発会式にこぎつけたのは、昭和四十一年の初夏でした。」
『歩兵第十一連隊「iA隊の記録」 追補録』松岡巌/編、元歩兵第十一連隊歩兵砲隊会、1979【H39/I11/2】
『歩兵第十一連隊史iA隊の記録 第3集 日支事変間の歩兵第十一連隊史』松岡巌/著、iA会、1988【H39/I11/3】
『支那事変に於ける歩兵第十一聯隊第四中隊誌』石田積/編纂、四生会事務局、1986【H39/イシツ86ア】
ページ付けなし 発刊にあたり
「(略)有志相集い「四生会(第四中隊生き残りの集い)」をつくって、(略)」
『歩兵第十一聯隊史』鯉十一会/編、鯉十一会、1993【H39/コイシ93ア】
ページ付けなし 序文
「(略)昭和五十年、主として支那事変後半以降聯隊に在籍した戦友諸君は鯉十一会(鯉は第五師団の通称号である)を結成した(略)」
『戦友会研究ノート』戦友会研究会/著、青弓社、2012【390.6/112セ】
p.155-158 護国神社と戦友会
p.156 「「歩十一会」は、郷土連隊である歩兵第十一連隊の戦友会(略)正式な戦友会設立は一九五〇年であり、といち会と称した。」
p.156 「戦友会の名称を、歩十一会に改称して、護国神社での慰霊祭を実施したのは、一九五六年である。」
p.158 「二〇〇九年に戦友会は解散(略)」
『広島師団史』陸上自衛隊第13師団広島師団史研究委員会/編、陸上自衛隊海田市駐とん部隊修親会、1969【H39/H733ア】
『廣島野砲兵第五聯隊第一中隊史』広島野砲兵第五聯隊第一中隊史編集委員会/編集、広島野砲兵第五聯隊第一中隊戦友会事務局、1989【H39/ヤホウ89ア】
『永遠の四一 歩兵第四一連隊の足跡を訪ねて』大田祐介/編・著、福山健康舎/編集、福山健康舎、2014【H39/オオユ114ア】
次の資料を確認しましたが、戦争体験に関連する記述は見当たりませんでした。
『第五師団部隊行動調査表』広島県民生労働部援護課/編、1963【H39/H73-6】
『戦記独立歩兵第五十一大隊 中支派遣 望・開第七九八一部隊史』五一会戦記委員会/編、飯田印刷(印刷)、1981【H39/G58】
『北京駐屯七・七戦友会史』支那駐屯歩兵第一聯隊 福山歩兵第四十一聯隊、北京駐屯七・七戦友会/編、松尾盛夫、1984【H996/ヘキン84】
『戦地に赴く兵士たち 蘆溝橋事件と係わる兵士を中心に』[仁保郷土史会/編]、2006【H263.1/ニホキ106ア】
『絵葉書の中の広島 閉じ込められた街の面影 平成二十五年度特別展』広島市未来都市創造財団広島市郷土資料館/編集、広島市未来都市創造財団広島市郷土資料館、2013【H26.1/シキヨ113ア】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 9版)
- 陸軍 (396 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 第五師団
- 大日本帝国
- 戦争体験
- 戦友会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000345213