レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年07月07日
- 登録日時
- 2016/07/07 18:11
- 更新日時
- 2016/12/15 11:50
- 管理番号
- 2015-09
- 質問
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解決
1701年の赤穂藩主・浅野長矩の刃傷事件後の吉田藩の対応について書かれた資料はあるか。
- 回答
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【資料1】「第十八章 歴代略記 第三節 村豊」に「忠臣蔵と吉田藩」の項あり(p413-416)。しかし事件後の対応については記述がなし。
【資料2】【資料3】【資料4】いずれの巻にも浅野長矩の刃傷事件に関する記述なし。
【資料5】「第三章 三代藩主伊達村豊の時代」に「2 村豊と元禄赤穂事件」の項あり(p81-101)。しかし事件についての史料の記述(「藤蔓延年譜」(【資料6】)「宗贇公御代記録書抜」(【資料7】))は簡潔に記されているだけということが記されている。また、この項の次の「村豊の苦難の治世」の項では「宗春(=村豊)は吉良邸討ち入りも、浪士の切腹も江戸でその報に接しているが、事件当事者としてどのような感懐をいだいたか、残念ながら一片の記録も残っていない。」(p103)とあり。
【資料8】「コラム赤穂事件と伊予吉田藩主伊達宗春」がありますが、簡潔なもので事件後の対応についての記述はない。
【資料9】【資料10】【資料11】いずれも関連する記述はなし。
【資料5】にあるように吉田藩の歴史史料の事件についての記述が乏しいため、事件後の吉田藩の対応については研究が進んでいないようである。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 【資料1】『吉田町誌 上巻』(吉田町誌編纂委員会/編集 吉田町教育委員会 1971年)<当館請求記号K295.1/3/1>
- 【資料2】『吉田町史稿 第1巻』(吉田町教育委員会 1965年)<当館請求記号カケK251/ヨシ1>
- 【資料3】『吉田町史稿 第2巻』(吉田町教育委員会 1966年)<当館請求記号カケK251/ヨシ2>
- 【資料4】『吉田町史稿 第3巻』(吉田町教育委員会 1967年)<当館請求記号カケK251/ヨシ3>
- 【資料5】『伊予吉田藩』(宇神幸男/著 現代書館 2013年)<当館請求記号K251/ウユ/2013>
- 【資料6】『藤蔓延年譜 伊予吉田藩編年史料』(森退堂/筆記 南予古文書の会/編集 『藤蔓延年譜』刊行会 1992年)<当館請求記号K251/16> (【資料5】で引用されている記述はp83に掲載されている)
- 【資料7】『記録書抜伊達家御歴代事記 1』(近代史文庫宇和島研究会/編集 近代史文庫宇和島研究会 1981年)<当館請求記号K252/19/1> (【資料5】で引用されている記述はp272に掲載されている)
- 【資料8】『赤穂浪士と伊予 平成11年度テーマ展』(愛媛県歴史文化博物館/〔編〕 愛媛県歴史文化博物館 〔1999〕年)<当館請求記号K205.2/エヒ/1999>
- 【資料9】『宇和島吉田両藩誌』(愛媛教育協会北宇和部会/編纂 関和洋紙店印刷部 1917年)<当館請求記号K295.2/1>
- 【資料10】『吉田藩昔語』(戸田友士/著 吉田同郷会 1937年)<当館請求記号K251/6>
- 【資料11】データベース「えひめの記憶」(愛媛県生涯学習センター)<http://i-manabi.jp/system/regionals/regionals/search>
- キーワード
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- 赤穂事件
- 伊予吉田藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000194454