レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年07月28日
- 登録日時
- 2021/08/20 18:28
- 更新日時
- 2021/08/20 18:32
- 管理番号
- 千県東-2021-0010
- 質問
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解決
戦国時代の武将「正木時忠(マサキ トキタダ 1521年-1576年)」の小見川乱入時期についての資料を探しています。『戦国房総人名辞典』によれば1560(永禄3)年-1566(永禄9)年の事だそうです。
小見川陣屋の前身の橋向砦(城)を築いたとされており、その時期の記載がある資料が見たいです。
- 回答
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確認済み以外の資料ですと、以下の資料に記述が見つかりました。
【資料1】和田盛「上総の虎 里見の時忠」(『会報』 東庄郷土史研究会 8号 1992.8)p32-35
永禄期における正木時忠の動向について書かれています。
【資料2】『小見川町史 通史編』(小見川町史編さん委員会編集 小見川町 1991)
p242-245「中世の小見川 正木と後北条」
永禄期を中心とした正木氏の下総地域での動向が記述されています。
【資料3】『芝山町史 通史編中』(芝山町史編さん委員会編 千葉県山武郡芝山町 2004)
p117に時忠の小見川関連の記述が5行ほどあり、「香取文書」の1567(永禄10)年9月吉日付の「大禰宜実隆置文」(「香取大禰宜家文書」)には、正木時忠が1560(永禄3)年12月に小見川相根に城を築き、同9年まで使用していたことが記されているとあります。
【資料4】『勝浦市史 通史編』(勝浦市史編さん委員会編 勝浦市 2006)
p328-338「時忠の香取郡在陣」
p331には、時忠が下総に侵攻して千葉氏と六年にわたって抗争して小見川城を攻略したこと等が書かれており、「時忠が小見川城を拠点に、香取郡東部一体を占領した様子がうかがわれる」と記述されています。
【資料5】『千葉縣香取郡誌』(千葉県香取郡役所編輯 千秋社 1989)
p887-893「第二十六篇 東国戦記」
p889に、正木左近(時忠)が小見川城を攻めた際の経緯が記されています。
【資料6】増田家淳「小見川町の景観 近世城下町と河岸のなごりを町なみに見る」(『香取民衆史』6号 香取歴史教育者協議会 1993年1月)p35-60
p40-43に、現在の町立中央小学校にあたる陣屋跡について、小見川城が攻められた合戦のとき正木時忠が橋向城という拠点を作ったのがこの陣屋跡とも伝えられているので、小見川藩によって作られたと考えるより、何らかの防衛施設をもとに構築したのではと考えられる、と書かれています。
【資料7】『日本城郭大系 6 千葉・神奈川』(新人物往来社 1980)
p72「小見川陣屋」
「正木時忠が粟飯原氏の居城である小見川城攻撃に際し、仮の砦として築造したものである」と書かれており、別称は「内田氏陣屋・橋向城」と記載があります。
【資料8】『房総の古城址めぐり 下巻 下総国』(府馬清著 有峰書店 1977)
p107-109「小見川城址」
p108に「正木軍は小見川城を陥れてのち、小見川橋向城(小川城)を築いてこれに拠」ったという説が書かれています。その他、p55-57「府馬城址」p58-59「米之井城址」の項目にも2-3行ほどの関連記述があります。
【資料9】「正木家譜」『房総叢書 ―紀元二千六百年記念― 第9巻 系図・石高帳』137コマ-142コマ
(http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB600266)
139コマに「時忠」の項目があり、小見川城を攻めた際の記述もあります。
- 回答プロセス
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・事前調査事項として取り上げられていた『戦国房総人名辞典』を確認したところ、上総国勝浦城(勝浦市)の城主であることや東下総地域で活躍したこと等が書かれていたため、関連地域の市史等を確認し【資料2】-【資料5】が見つかった。
・小見川陣屋について確認するため、当館の蔵書検索で郷土資料を件名「城」で検索し、【資料7】-【資料8】が見つかった。
・【資料3】の参考文献から【資料9】が見つかった。
・CiNii Articlesと千葉県関係データベース「菜の花ライブラリー」をキーワード「正木 時忠」「小見川陣屋」「橋向砦」で検索し、【資料1】が見つかった。
また「菜の花ライブラリー」を検索した際に『香取民衆史』という雑誌の情報を得たため、資料を確認したところ【資料6】が見つかった。
・以下の資料には、正木時忠については書かれているものの小見川での様子の詳しい記述は見つけられなかった。
『房総里見一族』(川名登著 新人物往来社 2008)
『房総里見水軍の研究』(千野原靖方著 崙書房出版 1981)
『私説勝浦史』(引田作蔵編著 引田真 1970)
千野原靖方「正木時茂・時忠の東上総支配について 小田喜衆の形成と正木領」(『千葉県の歴史』31号 1986.2)p1-10
(インタ-ネット最終アクセス:2021年7月26日)
※参考資料末尾の数字は資料番号です。
- 事前調査事項
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以下は調査済み
・『戦国房総人名辞典』(千野原靖方編著 崙書房出版 2009)p406-408「正木時忠」
・『南総正木太平記』(戸田七郎著 新人物往来社 1992)
・『南総里見太平記』(戸田七郎著 新人物往来社 1991)
・黒田基樹・滝川恒昭「「藩中古文書」所収正木文書について 房総里見・正木氏に関する新史料」(『千葉県の歴史』第41号 1991.2)p19-28
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】和田盛「上総の虎 里見の時忠」(『会報』 東庄郷土史研究会 8号 1992.8)(2500042250)p32-35
- 【資料2】『小見川町史 通史編』(小見川町史編さん委員会編集 小見川町 1991)(2190020906)
- 【資料3】『芝山町史 通史編中』(芝山町史編さん委員会編 千葉県山武郡芝山町 2004)(2101752033)
- 【資料4】『勝浦市史 通史編』(勝浦市史編さん委員会編 勝浦市 2006)(2101932283)
- 【資料5】『千葉縣香取郡誌』(千葉県香取郡役所編輯 千秋社 1989)(2100168359)
- 【資料6】増田家淳「小見川町の景観 近世城下町と河岸のなごりを町なみに見る」(『香取民衆史』6号 香取歴史教育者協議会 1993年1月)(2500023648)p35-60
- 【資料7】『日本城郭大系 6 千葉・神奈川』(新人物往来社 1980)(1100105114)
- 【資料8】『房総の古城址めぐり 下巻 下総国』(府馬 清著 有峰書店1977)(2100189958)
- 【資料9】「正木家譜」『房総叢書 ―紀元二千六百年記念― 第9巻 系図・石高帳』137コマ-142コマ(http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB600266)
- キーワード
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- 正木 時忠(マサキ トキタダ)
- 香取市-歴史(カトリシ レキシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000303422