レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年1月19日
- 登録日時
- 2024/02/25 10:25
- 更新日時
- 2024/03/19 11:22
- 管理番号
- 中央-1-0021707
- 質問
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解決
明治時代頃、見沼田んぼで生姜の生産が盛んだったことが分かる資料を探している。東京に卸していたらしいが、そのことについても確認したい。
- 回答
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見沼田んぼの近辺で生姜が生産されていたことについて書かれている資料を紹介した。
『浦和市史 通史編3』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1990年
『浦和市史 民俗編』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980年
『浦和市史調査報告書 第9集』 浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1979年
『武蔵国郡村誌 第2巻 限定版』 埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
- 回答プロセス
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●市史類を確認。
『浦和市史 通史編3』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1990年
p161-170「明治前期の農業と物産」
明治3年(1870年)の浦和県の物産調査に対して回答した大門宿組合上野田村の産物書上げから、生姜の生産が行われていたことが分かる。
p162-170 表35「『武蔵国郡村誌』による各村の農産物一覧」
中尾村、大牧村、大間木村、蓮見新田で生姜が生産されていたことが分かる。
『浦和市史 民俗編』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1980年
p161-172「畑作物の種類」
p169の野菜類の解説の中に、「生姜は、『武蔵国郡村誌』によれば明治初期にはすでに尾間木や谷田地区で作られていたのがわかる。(中略)かつては荷売りなどといって東京の市場まで大八車、荷車、のちにはリヤカーで運ばれていた」という記述あり。
『浦和市史調査報告書 第9集』 浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1979年
三室地区および美園地区の聞き取り調査をまとめた資料。
p38-71「生業の推移」「水田耕作」「畑作」
多くの地区で生姜を生産していたことが分かる。
p80-90「交通・交易」
p80「芝川を船で下って、ヤマト、サツマイモ、ショウガなどを東京へもっていった」(三室宮本)、p83「野菜は農家の人が天秤で運んで来て畷橋のたもとに物置があり、そこに集めた。その野菜を船で綾瀬川に運んで隅田川あたりまでいった。」(大門)などの記述があり、東京に卸していたことが分かる。
『武蔵国郡村誌 第2巻 限定版』 埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
p24-27「中尾村」
p25「地味」の説明中に「生姜芋茶に適す」という文言あり。
緑区の茶の生産の調査が参考にならないだろうか。
「緑区の上野田で明治~昭和30年頃にお茶を生産していたようだが、その生産規模が知りたい(生産量、生産者数等があれば)」(さいたま市立中央図書館)
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000319589
上記調査で使用した資料に当たったが、生姜の生産については記述なし。
×『埼玉県北足立郡事一班』 埼玉県北足立郡農会/編纂 埼玉県立浦和図書館 1983年
×『明治前期全国府県別統計集成 6 群馬県 埼玉県の統計 復刻版』 藤井隆至/編 東洋書林 1997年
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 農業 (610 10版)
- 蔬菜園芸 (626 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 生姜
- 見沼田んぼ
- 浦和市
- 大宮市
- さいたま市緑区
- さいたま市見沼区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000346599