レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2005年05月16日
- 登録日時
- 2010/12/06 15:36
- 更新日時
- 2011/02/10 17:29
- 管理番号
- 2010-051
- 質問
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解決
官許同志社英学校第一期生8人の1人、上野栄三郎氏(卒業はしていないと思われる)について詳細を知りたい。
- 回答
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回答プロセスをご覧下さい。
- 回答プロセス
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『同志社百年史』通史編1「第一部 創業と成育 第三章 同志社英学校の開校」
p.90「同志社の出発」に授業を開始した際の七名の寄宿生と一名の通学生の名前が記されている。その中に上野栄三郎氏の名前が見られる。また、上野氏が在学中に行った演説についての記述もあり。
↓
『同志社百年史』p.635に「(校友会)第三回大会では、上野栄三郎、松本亦太郎、高田畊安ら一四名の入会を認め、『校友会報』第一号に入会者の略歴・職業などを詳細に掲げている」とあるので、『校友会報』第一号を確認する。
→『同志社校友会報』第1号(1897)p.12に「上野栄三郎氏」の項あり。同志社入学、後に学農社に入り、オーストラリアで遊学後、関西貿易会社に入社したことなどが記載されている。
学農社時代については、本井康博「同志社と学農社」 (キリスト教社会問題研究. 2000, 第49号, p.100-121.)に、上野氏が最初の教師の1人として数学を担当していたこと、後に学農社の創立者津田仙の娘(琴子)と結婚したことや、在籍中に『簿記法初歩』『商学簿記法教授本』を発行したことなどが記されている。
大丸社史『大丸二百五拾年史 』(1967)p.291~「三 再起・京都店独立」に上野氏が顧問として大丸に招かれてから、大正13年12月3日に亡くなるまで(当時は社長代理)のことが詳細に書かれている。
- 事前調査事項
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京都生まれの財界人(上野駅のハチ公の飼い主とは同姓同名の別人)
最後は京都大丸社長。
前半は津田仙の学校の先生。
後半は村井合資会社、関西貿易会社重役、村井銀行取締役。
- NDC
- 参考資料
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- 『同志社百年史』(通史編1) 同志社, 1979 (大今図 開架 099.02||DB-5||1:1)
- 同志社校友会報 (同志社資料室 P099||D19)
- 本井康博「同志社と学農社」 (キリスト教社会問題研究. 2000, 第49号, p.100-121.) (大今図 3階南書庫 P194||K2)
- 『大丸二百五拾年史』 大丸, 1967 (大今図 B2階書庫 674.8||D)
- 上野榮三郎編輯『簿記法初歩 : 全』 津田繩本店 (發賣), 1879 (大今図 同英学・同資 336.91||U9205)
- 山崎孝子『津田梅子』吉川弘文館, 1962 (大今図 3階北書庫 289.3||T24)
- クララ・ホイットニー『クララの明治日記』 講談社, 1976 (大今図 3階北書庫 289||W4||2)
- キーワード
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- 同志社関係
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 卒業生
- 登録番号
- 1000074781