レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/6/15
- 登録日時
- 2020/12/19 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:41
- 管理番号
- M20101518410754
- 質問
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茶屋町町長として、茶屋町の上水道敷設に尽力した姫井繁次についての資料がないか。
- 回答
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資料①『改訂 茶屋町史』によると、姫井繁次は大正7年(1918)から昭和6年(1931)まで茶屋町町長を務め、その間、上水道敷設に尽力。昭和9年(1934)には金比羅宮境内(茶屋町)に銅像が建立され、昭和41年(1966)には名誉町民の称号を贈られていることなどが出ている。
資料②『再改訂版 親と子の茶屋町史』では、銅像は戦時中の供出によりなくなったため戦後、胸像を再建したとある。
資料③『倉敷と周辺の碑』、資料④『拓本吉備の名碑』では、胸像碑銘の拓本と銘文全文、胸像の台座前にある水道記念碑の拓本を紹介している。
資料⑤『白壁の街の水』には水道記念碑の碑文全文の紹介がある。
資料⑥『山陽新聞』(1971.5.9付朝刊)には訃報があり、5月8日に亡くなったことが確認できる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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資料① 福山恒治『改訂 茶屋町史』倉敷 改訂版茶屋町史刊行委員会,1989,531p,参照はp.176-180,460-461.
資料② 佐藤圭一『再改訂版 親と子の茶屋町史』倉敷 「親と子の茶屋町史」刊行委員会,2016,215p,参照はp.139-142.
資料③ 井上雄風『倉敷と周辺の碑』倉敷 井上雄風,1975,338p,参照はp.161,225.
資料④ 井上雄風『拓本吉備の名碑』倉敷 井上雄風,1979,263p,参照はp.241.
資料⑤ 村岡敏彦『白壁の街の水』倉敷 村岡敏彦,1987,276p,参照はp.118-123.
資料⑥ 『山陽新聞』 1971年5月9日付朝刊,山陽新聞社,参照はp.4.
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資料① 福山恒治『改訂 茶屋町史』倉敷 改訂版茶屋町史刊行委員会,1989,531p,参照はp.176-180,460-461.
- キーワード
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- 都窪郡茶屋町
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2020101518452810754
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000290986