レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/12/05
- 登録日時
- 2014/06/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:36
- 管理番号
- M14012918366311
- 質問
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中庄駅がいつできたか知りたい。
- 回答
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・『日本国有鉄道百年史 索引・便覧 』(資料①)にある「停車場一覧」は昭和49年8月1日までの線路開通について収録されたものであるが、そこには「中庄 昭5.3.11」とある。
・『中庄村誌』(資料②)に、「停車場中庄駅」について「停車場は中庄駅と称し昭和5年3月11日より開業したるものにして其駅長及助役の氏名左の如し 昭和5年3月11日 駅長 片山磐夫 助役 佐守銀治」とある。その他「停車場設置に関する請願運動の経過」についても記載がある。
・『下庄風土記』(資料③)には、「現在の中庄駅は帯江銅山が全盛の頃は鉱山を積出するため「おびえ」駅として貨車専用の停車場であった。銅山閉鎖と共に信号所に変り汽車は停車しなかったが、その後人口増加に伴って中庄駅として生まれたものである。」とあるが、駅がいつできたかについては記載がない。
・『新修倉敷市史 6 近代 下』(資料④)の「昭和5年(1930)3月には、中庄駅が元帯江信号所であった場所に開業した。これも県下有数の帯江銅山の立地する地であったこともあって、周辺の村々との連携のもと、地域を挙げて長い年月をかけた設置運動展開の歴史がある。」とある。
・『岡山の駅』(資料⑤)の「中庄駅」に「庭瀬から4.7㌔。駅の設置は昭和5年3月11日。それまで、庭瀬―倉敷間9.4㌔の間に駅はなく、大正4年につくられた帯江信号所があっただけだが、地元民の要望で駅が出来た。駅名は所在地の都窪郡中庄村(倉敷市編入合併は昭和26年3月)村の名前をもらった。」とある。
・『週刊JR全駅・全車両基地 No.28』(資料⑥)に、「1915(大正4)年に帯江信号所として開設され、帯江銅山に近く貨客の利用が見込まれたことから、30(昭和5)年に地元の陳情により現駅名で一般駅へと昇格している。」とある。
・難波四郎「中庄駅の誕生秘話」(資料⑦)には、「中庄駅」が誕生するまでのことを、山陽新報(現山陽新聞)の記事等によって詳しく紹介されている。
そのほか、『鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道』(資料⑧)にも簡単な記載がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 鉄道運輸 (686 9版)
- 参考資料
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①日本国有鉄道編 『日本国有鉄道百年史 索引・便覧』 日本国有鉄道,1974,392p. 参照はp.309.
②中村常三郎編『中庄村誌』中庄村(都窪郡) 渡辺謄写堂,1933,6,339p p. 参照はp.34-35.
③下庄風土記編さん委員会編『下庄風土記』倉敷 下庄風土記編さん委員会,1989,169p. 参照はp.68.
④倉敷市史研究会編『新修倉敷市史 6 近代 下』 岡山 山陽新聞社,2004,866,13p 図版6枚. 参照はp.214.
⑤難波数丸『岡山の駅』 岡山 日本文教出版,1972,184p. 参照はp.36.
⑥『週刊JR全駅・全車両基地 No.28』 朝日新聞出版, 2013,35p. 参照はp.19.
⑦難波四郎「中庄駅の誕生秘話」『中庄の歴史』No.8,2013,p.10-25.
⑧小西伸彦『鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道』岡山 吉備人出版,2008,265p. 参照はp.69.
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①日本国有鉄道編 『日本国有鉄道百年史 索引・便覧』 日本国有鉄道,1974,392p. 参照はp.309.
- キーワード
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- 中庄駅
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2014012918332966311
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000154825