レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017/09/18
- 登録日時
- 2017/12/24 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:39
- 管理番号
- M17091814387295
- 質問
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三木行治の死後、献眼移植手術やその後の様子について知りたい。
- 回答
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資料①『三木行治の世界』の年表には、昭和39年9月21日急逝と9月23日密葬の間に献眼角膜移植とある。
三木行治の伝記である資料②『私なき献身』には、岡山大学医学部眼科学の赤木五郎教授によって手術が行われ、2人の女性に角膜が移植されたことがわかる。2人の女性は手術の成功により、開眼の喜びの日を迎えたとある。
資料③『山陽新聞 夕刊』(昭和39年9月22日付)には、22日正午から手術が行われ、経過が良ければ7~10日もすれば見えるようなるという赤木教授のコメントや、早く目が見えるようになって知事の遺志にそいたいといった患者女性のコメントもある。
資料④『山陽新聞 朝刊』(昭和39年12月12日付)にも、手術を受けた女性の経過等があり、1人は元の職場に復帰したこと、もう1人も自宅療養中でまもなく勤めに出る予定があることなどが出ている。
資料⑤『赤光』によると、岡山市に住む22歳女性の左眼については、視力0.01だったものが移植により1カ月目には0.8、更に1年後には2.0まで恢復したが、その後虹彩炎にかかり0.5まで落ちて安定、岡山市の20歳女性の左眼は視力0.03だったものが、移植後2か月後に0.3となりその後も順調に経過していたことなどがわかる。
資料⑥『岡山県眼科医会50年史』には、「岡山県アイバンク設立運動と故三木知事」とする赤木五郎の一文で、角膜移植希望者の中から特に若い2人の女性を選び赤木氏が手術したこと、その後、街中で中年の婦人に声をかけられ、それが手術した女性で、角膜の接合創はかすかな痕跡を残すのみですっかり透明になっていたことなどが書かれている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 眼科学.耳鼻咽喉科学 (496 9版)
- 参考資料
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資料① 猪木正実『三木行治の世界』岡山 日本文教出版,2012,156p.参照はp.152.
資料② 故岡山県知事三木行治顕彰会『私なき献身』岡山 故岡山県知事三木行治顕彰会,1966,566p.参照はp.326.
資料③ 『山陽新聞』1964年9月22日付夕刊,山陽新聞社,参照はp.5.
資料④ 『山陽新聞』1964年12月12日付朝刊,山陽新聞社,参照はp.12.
資料⑤ 赤木五郎『赤光』[津山] 広陽本社,1978,168p.参照はp.73-76.
資料⑥ 岡山県眼科医会『岡山県眼科医会50年史』岡山 岡山県眼科医会,2003,217p.参照はp.89-91.
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資料① 猪木正実『三木行治の世界』岡山 日本文教出版,2012,156p.参照はp.152.
- キーワード
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- 赤木五郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2017091814332187295
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000227286