レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006/08/05
- 登録日時
- 2007/02/03 02:10
- 更新日時
- 2008/05/30 18:13
- 管理番号
- 埼熊-2006-071
- 質問
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解決
万葉学者仙覚(鎌倉時代の学僧 1203-1272か)が慈覚大師円仁(794-864)の門人だと確認できる資料を探している。
- 回答
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以下の資料を紹介する。
①『武田祐吉著作集 5 万葉集1』(角川書店)の「万葉集・仙覚・仙覚本」の項
②『万葉集の研究 仙覚及び仙覚以前の万葉集の研究』(岩波書店)
③志村士郎「権律師仙覚出自考」(『学苑(日本文学紀要)505号 (昭和57年1月)』)
④志村士郎「権律師仙覚像の一断面」(『日本文芸思潮論』に所収)
資料の記述によると 「後嵯峨上皇に送った奏覧状に〈慈覚門人権律師先覚〉と署名している。」とある。また資料③④では「慈覚大師と仙覚とは時代が著しく隔たりがあり、〈門人〉を文字どおりに解することは不自然である。」と続いている。
- 回答プロセス
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『国史大辞典』『日本仏教人名辞典』等で〈円仁〉が天台座主3世、天台宗の悉曇の祖であることを確認。
自館目録をカ〈円仁〉で検索し、ヒットした関連資料にあたる。
『仙覚全集 (万葉集叢書 8)』(古今書院)「仙覚律師伝」の項p7に「仙覚の宗門は奏覧状に、慈覚門人(門流の儀)とあり」との該当記述あり。
『万葉集の研究 仙覚及び仙覚以前の万葉集の研究』『武田祐吉著作集 5 万葉集1』にも同様の記述が見つかった。
《MAGAZINEPLUS》を〈仙覚〉で探す。「権律師仙覚出自考 志村士郎著」(『学苑(日本文学紀要) 505号 (昭和57年1月)』)p139には、同記述に続いて「慈覚大師とは時代が著しく隔たったいるので、文字どおりに解することは適切ではない。・・・後嵯峨院に対して東国人の自負により、あえて郷土の先達の名を冠したものと思われる。」とあった。
『日本文芸思潮論』(桜風社)「権律師仙覚像の一断面」の項にも「〈門人〉を文字通り解するのは不自然である。」との記載があり。
- 事前調査事項
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『仙覚年表』によると「仙覚は、1203年常陸国生まれ、13歳で万葉集の研究に志し、1253年12月万葉集の新点(新しい訓〔よみ〕)を後嵯峨上皇に奉覧し、1269年比企郡北方麻師宇郷の政所で「万葉集注釈」を書き上げた万葉学者である」とあり、『仙覚全集(万葉集叢書 8)』(佐々木信綱 古今書院)を引用して「仙覚の宗門は、奉覧状に、慈覚門人とあり、・・・思うに天台宗であろう」と記載がある。
- NDC
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- 各宗 (188 9版)
- 寺院.僧職 (185 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『仙覚全集(万葉集叢書 8)』(佐々木信綱 古今書院 1926)
- 『仙覚年表』(藤倉忠臣 2003)
- 『武田祐吉著作集 5 万葉集篇1』(角川書店 1973)
- 『万葉集の研究 仙覚及び仙覚以前の万葉集の研究』(佐々木信綱 岩波書店 1942)
- 志村士郎「権律師仙覚出自考」(『学苑(日本文学紀要) 505号 (昭和57年1月)』)
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『日本文芸思潮論』(片野達郎 桜楓社 1991)
- キーワード
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- 天台宗-仏教-日本
- 円仁(エンニン)
- 仙覚(センガク)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000033080