レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/12/05
- 登録日時
- 2015/11/16 13:58
- 更新日時
- 2016/01/14 10:20
- 管理番号
- 埼熊-2015-063
- 質問
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未解決
富岡製糸場建設後、韮塚直次郎が工場の給食の賄いを請け負ったが、いつ頃まで続き、何人くらいの人員を要していたのか知りたい。
- 回答
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『富岡製糸場事典 Silk Country Gunma 21 シルクカントリー双書 8』(富岡製糸場世界遺産伝道師協会 上毛新聞社 2011)
p163「賄方については韮塚直次郎が請け負い、その仕事は、東京から寄留した女性も多く働いていたようです。」との記述があるが、いつ頃まで続き、人員は何人要したかは確認できなかった。
- 回答プロセス
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『富岡製糸場事典 Silk Country Gunma 21 シルクカントリー双書 8』(富岡製糸場世界遺産伝道師協会 上毛新聞社 2011)
p162-163「工女の食事」に「操業当初は一日一人7銭1厘でしたが」と金額の記述あり。
p163「賄方については韮塚直次郎が請け負い、その仕事は、東京から寄留した女性も多く働いていたようです。」とあり。
『絹ひとすじの青春 『富岡日記』にみる日本の近代』(上条宏之著 日本放送出版協会 1978)
p106「賄所」の大きさあり。賄所の北部分に浴室があり、「(通行口の)鍵は工女係の官員と賄長が持った」とあり。
『官営富岡製糸所工女史料』(たかせとよじ著 たいまつ社 1979)
p175-176「明治7年6月より製糸場御賄方稼働」として16人の女性の名あり。出典は『富岡製糸場誌』記載の入寄留簿。
『絵で見る製糸法の展開』(鈴木三郎著 日産自動車 1971)
p48 同氏(韮塚直次郎)は「明治6年の富岡製糸場の職員録には工女御寄宿所御賄方3名の中の一人に出ている」とあり。
『富岡日記 みやま文庫 94』(和田英著 1985)
p43-44「賄方の芝居」に「慥十二月頃かと思ひ舛が、(中略)賄方の番頭共が皆役者に成まして」とあるが人数は不明。(前編「明治六・七年松代出身工女富岡入場中の略記」中の記述)
p45「食物の事」に「賄の頭取が出されまして」等の記述はあるが、食事の内容についてが主で賄方の人員への言及はなし。(前編「明治六・七年松代出身工女富岡入場中の略記」中の記述)
その他調査済み資料
『富岡製糸場誌 上・下』(富岡製糸場誌編さん委員会編 富岡市教育委員会 1977)
『製糸同盟の女工登録制度 日本近代の変容と女工の「人格」』(東条由紀彦 東京大学出版会 1990)
『製糸女工の教育史』(花井信著 大月書店 1999)
『製糸労働者の歴史』(楫西光速 岩波書店 1955)
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 9版)
- 労働経済.労働問題 (366 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『富岡製糸場事典 Silk Country Gunma 21 シルクカントリー双書 8』(富岡製糸場世界遺産伝道師協会 上毛新聞社 2011) , ISBN 978-4-86352-056-1
- キーワード
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- 韮塚 直次郎(ニラヅカ ナオジロウ)
- 富岡製糸場
- 給食
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000183875