レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年03月03日
- 登録日時
- 2023/07/06 20:00
- 更新日時
- 2023/11/15 12:25
- 管理番号
- 埼熊-2023-024
- 質問
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解決
マリア・テレジアの兄(レオポルト・ヨハン)の死没年が知りたい。
- 回答
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以下の資料を紹介した。
『ハプスブルク家の皇帝たち』(アンドリュー・ウィートクロフツ著 瀬原義生訳 文理閣 2009)
p274「カールの最初の子供は息子のレオポルト・ヨハンで、1716年喜びのうちに生まれたが、同年11月4日には死んだ。」とあり。
『ドイツ史 2 1648年~1890年』(成瀬治編 山川出版社 1996)
p25「カール六世夫妻には、1716年に生まれて数カ月後に死んだ男子のあと、翌年に生まれたマリア・テレジアとさらに二人の女子があったが、期待された男子の誕生にはなかなか恵まれなかったからである。」とあり。
『プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォア 興隆期ハプスブルク帝国を支えた男』(デレック・マッケイ著 瀬原義生訳 文理閣 2010)
p194 レオポルト・ヨハンについて記述あり。
- 回答プロセス
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1 参考図書を確認する。
2 NDC分類〈288.49〉〈234〉の棚を確認する。
3 自館目録を〈マリア・テレジア〉で検索する。
4 《WHOPLUS》(日外アソシエーツ)を〈マリア・テレジア〉で検索する。
5 2の調査経過より《ウィキペディア》https://ja.wikipedia.org/wiki/ ウィキメディア財団)を〈カール6世〉で検索する。
《カール6世 (神聖ローマ皇帝)》(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB6%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D) ウィキメディア財団)
参考文献を確認する。
〈その他調査済み資料〉
『山川世界史小辞典』(山川出版社 2004)
『角川世界史辞典』(角川書店 2001)
『外国人物レファレンス事典 古代-19世紀 III 2 欧文名 [L-Z] 』(日外アソシエーツ 2019)
『マリア・テレジアとその時代』(江村洋著 東京書籍 1992)
『岩波=ケンブリッジ世界人名辞典』(岩波書店 1997)
『コンサイス外国人名事典 第3版』(三省堂 1999)
『世界伝記大事典 世界編 7 トム―ハリ』(桑原武夫編 ほるぷ出版 1981)
『ドイツ・オーストリア ヒストリカル・ガイド』(坂井榮八郎著 山川出版社 1999)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2020年3月3日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- ドイツ.中欧 (234 9版)
- 参考資料
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- 『ハプスブルク家の皇帝たち』(アンドリュー・ウィートクロフツ著 瀬原義生訳 文理閣 2009) , ISBN 9784892595912
- 『ドイツ史 2 1648年~1890年』(成瀬治編 山川出版社 1996) , ISBN 4634461307
- 『プリンツ・オイゲン・フォン・サヴォア 興隆期ハプスブルク帝国を支えた男』(デレック・マッケイ著 瀬原義生訳 文理閣 2010) , ISBN 9784892596193
- キーワード
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- 貴族-オーストリア
- Habsburg(ハプスブルク)
- Maria Theresa(マリア テレジア)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000335526