レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年08月18日
- 登録日時
- 2011/11/30 18:34
- 更新日時
- 2012/03/12 23:32
- 管理番号
- 埼浦-2011-048
- 質問
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解決
現在、本庄市文化財となっている「八幡神社高札場」(昭和40年3月1日児玉町指定。以前は県指定の文化財)に書かれていた文言の原文を見たい。『児玉町の文化財』(児玉町教育委員会 1988)に現代語訳が掲載されている。
- 回答
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1 八幡神社高札場で掲示された高札について下記の資料を紹介した。
『本庄市の文化財』
p64「八幡神社の高札場」あり。掲示された高札についての記述なし。
『写真で見る児玉の歩み』(児玉町教育委員会 2005)
p52「江戸幕府の農民支配」に八幡神社の高札場の写真あり。「正徳期の風洞分高札(風洞 吉川家蔵)」の写真もあるが、文字の判別不能。また、同ページに「太駄の高札場」も紹介されているので、「正徳期の風洞分高札(風洞 吉川家蔵)」がどちらの高札場の高札かは不明。
『埼玉史談 4』
p137-139「児玉八幡山の制札場」
八幡山町の舊家櫻澤長作の家から発見された4枚の高札の文あり。そのうち「徒党強訴逃散のことがあってはならぬ」「切支丹宗門の訴人には賞金をくれる」「火つけするものあらば早々申し出よ」と思われる制札あり。
「定 何事によらず、よろしからざる事に、百姓大勢申合せ候を、ととうととなへ、ととうしてしゐてねがひ事くわだつるをごうそといひ、あるひは申合村方たちのき候をてうさんと申、前々より御法度に候條(以下略)」
「定 きりしたん宗門は累年御制禁たり、自然不審成ものこれあらば、申出べし、御ほふびとして はてれんの訴人 銀五百枚(以下略)」
「定 一 火を付る者をしらば早々申出べし、(以下略)」
p148「児玉の高札場の保存」の「沿革」に「徳川時代に掲示したる高札は明治初年当時所役人の家に在りしか今は何れにか紛失せり」とあり。
『自治資料埼玉県史蹟名勝天然紀念物調査報告5 史蹟及天然紀念物之部 (埼玉県立図書館復刻叢書16)』
p154-156八幡神社の高札場の記述あり。
「沿革」に「徳川時代に掲示したる高札は明治初年当時所役人の家に在りしか今は何れにか紛失せり」とあり。
2 上記資料により、八幡神社の高札場に掲示された高札は、明治期に紛失してしまったことがわかったため、埼玉県内で掲示された高札に同じ内容のものがないか調査し、下記の資料を紹介した。
『新編埼玉県史 資料編 17(近世8)領主』
p88「万治元年八月 切支丹禁止高札」あり。
p146-148「正徳元年五月 親子兄弟・毒薬・火付・切支丹高札」あり。
p257-258「明和七年四月 徒党強訴逃散高札請書」あり。
「鉄砲を持つことはならぬ」というような高札についての記述はなし。
『高札 中山道熊谷宿』
p67-71「火付高札」に火付高札を年代順に追った記述あり。原文あり。
p72-78「(二)キリシタン嘱託・鎖国及び浦高札」にキリシタン取締の高札を年代順に追った記述あり。原文あり。
p94-96「(ア)鉄砲・生類憐愍・鷹場高札」に鉄砲の取締の高札を年代順に追った記述あり。原文あり。
p99-101「(イ)徒党・浪人・博奕高札」に徒党の取締の高札を年代順に追った記述あり。原文あり。
『埼玉史談 20-3』
p19-29「埼玉県下の高札について2」
p26「十四諸人の守るべき事(一七一一) (略)一、鉄炮猥に打べからず若違犯の者あらば申出べし隠し置他所よりあらはるとにおいては其罪重かるべき事(以下略)」とあり。
p28「十七 切支丹禁制(一七一一) 定 切支丹宗門は累年御制禁たり 自然不審成者之は申出べし 御ほうびとしてばてれんの訴人 銀五百枚(以下略)」とあり。
p29「十八 火附御高札(一七一一) 一、火を付る者をしらば早々申出べし。(以下略)」とあり。
『埼玉史談 20-4』
p12-20「埼玉県下の高札について(三)」
p12「二十 鉄砲打禁止(一七二一) 定 こゝにて若鉄炮うち候者これあり候はば、申出べし(以下略)」とあり。「鉄砲を持つことはならぬ」というような高札についての記述はなし。
p13「二二 徒党その他禁止(一七七〇) 定 何事によら須よ路しからさ流事に百姓大勢申合せ候をととうと登なえ、ととうして志いて弥かひ事くハたつるをこうそといひあるひは申阿ハせ村方たちのき候をてうさんと申し(以下略)」とあり。
p16「(二)徒党・強訴・逃散の禁止(五榜の二) 定 何事ニよら須よ路しからざる事 大勢申合を ととうととなへ(以下略)」とあり。
p17「(三)キリシタン及び邪宗門の禁止(五榜高札の第三) 定 一、切支丹宗の儀ハ是迄御制禁之通固可相守事(以下略)」とあり。
- 回答プロセス
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『児玉町の文化財』(児玉町教育委員会 1988)を確認する。
p12「八幡神社の高札場」の説明に「これは徳川時代に「徒党強訴逃散のことがあってはならぬ」「切支丹宗門の訴人には賞金をくれる」「鉄砲を持つことはならぬ」「火つけするものあらば早々申し出よ」などの諸法度を掲示して、治安を保持するために高札場を設けたもので、主として名主の家の前に立てられたものである。」とあり。
この4つの高札の原文を探した。
自館目録を全項目〈高札〉で検索する。
《埼玉雑索》を〈高札〉〈制札〉で検索し、該当資料を調査する。
町史等を調査する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術政策.文化財 (709 9版)
- 関東地方 (213 9版)
- 参考資料
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『本庄市の文化財』(本庄市教育委員会 2009)
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『写真で見る児玉の歩み』(児玉町教育委員会 2005)
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『埼玉史談 4』(埼玉県郷土文化会編 国書刊行会 1972)
- 『自治資料埼玉県史蹟名勝天然紀念物調査報告5 史蹟及天然紀念物之部 (埼玉県立図書館復刻叢書16)』(埼玉県編 埼玉県立浦和図書館 1990)
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『新編埼玉県史 資料編 17(近世8)領主』(埼玉県 1985)
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『本庄市の文化財』(本庄市教育委員会 2009)
- キーワード
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- 高札
- 本庄市-歴史
- 本庄市-文化財
- 八幡神社高札場
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000097309