レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年12月21日
- 登録日時
- 2023/02/22 13:45
- 更新日時
- 2023/05/23 18:39
- 管理番号
- 埼熊-2022-085
- 質問
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未解決
白樺派の文人(志賀直哉など)が、赤城山の大沼辺に集っていた証拠が知りたい。
- 回答
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志賀直哉や白樺派の文人たちが赤城山を訪れたとする記述があったが、意図して集ったり文学論を交わしたという記述は見つからなかった。
- 回答プロセス
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1 参考図書で雑誌「白樺」や白樺派の文人について調べる。
2 自館目録を〈白樺〉〈赤城〉〈猪谷六合雄〉〈群馬 & 文学地理〉〈群馬 & 文学〉〈群馬 & NDC分類:9〉で検索する。
『『白樺』派の作家と作品』(本多秋五著 未来社 1968)
p124 武者小路実篤著『彼の青春時代』に、「志賀氏とともに強行した、富士五湖めぐりから甲府をへて赤城山にいたる「貧乏旅行」の記載もある。」とあり。
『明治文学全集 76 初期白樺派文学集』(筑摩書房 1973)
p423-428「年譜 志賀直哉」
p424「大正四年(一九一五)三十三歳 五月、鎌倉に移ったが、一週間後に赤城山大洞の猪谷旅館に行き、のち、旅館の主人猪谷六合雄に山小屋を建ててもらい、そこに移った(「焚火」はこの時の体験による)。九月、赤城を去り(後略)」とあり。
『赤城(みやま文庫 1)』(相葉伸[ほか]編 みやま文庫 1968)
p1-30「随想「焚火のころ」」
志賀直哉が大正4年の5月から9月まで滞在し、柳宗悦が赤城に来た記述あり。
『今日も赤城が見える 第57回企画展 風の山文学紀行』(群馬県立土屋文明記念文学館編 群馬県立土屋文明記念文学館 2007)
P10-11「志賀直哉と赤城」
「大沼畔での生活」や「「焚火」・「赤城にて或る日」」(赤城での生活を描いた二編)の紹介あり。
『赤城の四季』(猪谷六合雄著 山と渓谷社 1944)(群馬県立図書館所蔵ほか)
志賀直哉著「赤城山にて」、里見弴著「赤城」、長与善郎著「美しい思ひ出」、関口泰著「大洞日記」の随筆あり。
(注)埼玉県立図書館では未所蔵のため未確認である。
『雪に生きた八十年』(猪谷六合雄著 実業之日本社 1972)
p35-37「作家や画家の人たちなど」
猪谷六合雄の経営していた宿に泊まった芸術家について記され、志賀直哉や長与善郎、武者小路実篤などの名前あり。
また、巻頭の写真に志賀直哉の山小屋や、志賀直哉の写真あり。
『猪谷六合雄 人間の原型・合理主義自然人』(高田宏著 リブロポート 1990)
p25-55「第1章 赤城山」に、志賀直哉が赤城に住んでいたころの猪谷六合雄達との交流について記述あり。
『上毛文学散歩 新版』(新上毛文学散歩編集委員会編 煥乎堂 1978)
p210 明治39年4月29日に、志賀直哉が武者小路実篤と一緒に赤城に訪れた旨記述あり。
『群馬の山の文学(みやま文庫 116)』(関俊治[ほか]編 みやま文庫 1990)
p157-169「大洞日記」(関口泰著)
p166「夏の客」に「大洞の家は七月に入ると急に忙しくなる。滞留の客は大方大学生で、近年は一高と大学の連中が多い。前は学習院が多く「白樺」の連中もいっていた様であったが、軽薄な御世辞もなく放任主義な客扱いは居心地もよく、長きは六十日の夏を此に暮す。」とあり。
3 NDC分類〈910.26 or 910.28〉の棚で志賀直哉関連資料にあたる。
4 《国立国会図書館サーチ》( http://iss.ndl.go.jp/ 国立国会図書館)を〈志賀直哉 & 赤城山〉〈白樺派 & 赤城山〉〈白樺派 & 群馬〉で検索する。
《国立国会図書館デジタルコレクション》『上州の路傍』(丸山知良著 みやま文庫 1975)p66-67 「志賀直哉文学碑」( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9640538 国立国会図書館)41コマ 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開
p66「大正四年五月、康(さだ)子夫人とともに赤城に来られ、同年九月まで大洞の山小屋住まわれた」とあり。
『日本の文学 22 志賀直哉』(谷崎潤一郎[ほか]編 中央公論社 1974)
p478-481「赤城山にて」赤城山で暮らしていた時の思い出が描かれている。
5 《Google ブックス》( http://books.google.co.jp/ Google)を〈白樺派 & 赤城山〉〈志賀直哉 & 赤城山〉で検索する。
『光太郎と赤城 その若き日の哀歌』(佐藤浩美著 三恵社 2006)(国立国会図書館所蔵ほか)
p70「白樺派の一人である志賀直哉は後に大沼湖畔に別荘を建て、小説「焚き火」に赤城滞在の様子を描いた。夜は囲炉裏端で、みんながイブセンと仇名していた旅館の主人猪谷春雄を囲み、山の四方山話や新しい西洋文化の動きを語ったりしたのだという。」
『志賀直哉全集 第8巻』(志賀直哉著 阿川弘之[ほか]編 岩波書店 1999)
p149-199「稲村雑談」
p186「赤城」の項に「然し、色々な人が来て、随分賑やかでもあつた。柳宗悦がスコットといふ五十以上の英人を連れて暫く来てゐたし、大学を出たばかりの河合栄治郎君なども来てゐた。まだ学生だった犬養健も遊びに来たし、共同通信の松方三郎君などは小さな中学生で犬養に連れられて来てゐた。」とあり。
〈その他調査済み資料〉
『群馬新百科事典』(上毛新聞社 2008)
『新潮日本文学事典』(新潮社 1988)
『日本近代文学大事典 1-6巻』(講談社 1977)
『白樺たちの大正』(関川夏央著 文藝春秋 2003)
『赤城山』(赤城山編集委員会 上毛新聞社 1988)
『群馬の作家たち(塙新書 74)』(土屋文明記念文学館編 塙書房 1998)
『ぐんま文学の森 開館10周年記念』(群馬県立土屋文明記念文学館編 群馬県立土屋文明記念文学館 2006)
『志賀直哉研究』(重友毅著 笠間書院 1979)
『小僧の神様 他十篇 〔2002年〕改版』(志賀直哉作 岩波書店 2002)
『志賀直哉全集 第3巻』(志賀直哉著 阿川弘之[ほか]編 岩波書店 1999)
ウェブサイト・データベースの最終アクセス日は2019年12月21日。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (91 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 白樺派
- 赤城山
- 志賀 直哉(シガ ナオヤ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 文学
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000329291