レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/07/27
- 登録日時
- 2021/09/25 00:30
- 更新日時
- 2021/10/24 13:29
- 管理番号
- 6000058722
- 質問
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解決
明治末から大正初期の、大阪府箕面市の桜井住宅地の様子について、紹介のされ方や生活の状況、どのような人が移り住んでいたかなどがわかる資料はあるか。
- 回答
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『懐かしい沿線写真で訪ねる 阪急宝塚線・能勢電鉄 街と駅の1世紀』や、箕面市のサイト https://www.city.minoh.lg.jp/soumu/shishi/column/topic-2.html 等をご案内した。
- 回答プロセス
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大阪関連の書架等を探す。
『新修豊中市史 第9巻 集落・都市』(豊中市)p156には阪急電鉄による沿線の住宅地開発が列挙されている中に、明治44年(1911年)に桜井経営地5万5千坪の開発が行われたとの記載があり。p220にも桜井住宅地への言及はあるが、詳細はなし。
『懐かしい沿線写真で訪ねる 阪急宝塚線・能勢電鉄 街と駅の1世紀』(彩流社)p54-55「桜井」に、桜井住宅地売り出しの際に阪急電鉄が理想の郊外生活が送れるところであるという宣伝パンフレットを作成した等の記載があり。大正11年当時には閑静な住宅地として定着していたともあり。
次いで『箕面市史 第3巻』(箕面市役所)を確認するが、桜井住宅地についての詳しい記載は発見できず。
Googleで「桜井住宅地」を検索すると、箕面市のサイト https://www.city.minoh.lg.jp/soumu/shishi/column/topic-2.html がヒット。桜井住宅地の紹介や居住者の推察、参考資料等の紹介があり。
ここで紹介されていた資料を調べ内容を確認するが、『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会)p338に桜井住宅地が閑静な住宅地として定着していたことの記載があり、また『75年のあゆみ 記述編』(阪急電鉄)や『京阪神急行電鉄五十年史』(京阪神急行電鉄)に明治43年の池田室町住宅地開発当時のパンフレットがあるのみで、桜井住宅地についての詳しい記載は発見できず。
利用者には『懐かしい沿線写真で訪ねる 阪急宝塚線・能勢電鉄 街と駅の1世紀』の記載が求める内容に近かったことと上記の結果、箕面市のサイトに箕面有馬電気軌道による宣伝絵はがきや阪急電鉄による販売パンフレットの所蔵があると記載があることをお伝えした。
また、三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス」内の「大阪府 豊中・池田・箕面 5 郊外住宅地開発と教育機関の整備」 https://smtrc.jp/town-archives/city/toyonaka/p05.html
内に桜井住宅地についての記載があり、こちらもご案内した。
なお、『箕面市の昭和』(樹林舎)・『北摂今昔写真帖 池田市・箕面市・豊能町・能勢町 20世紀のふるさと150景』(郷土出版社)には、阪急桜井駅付近の写真は掲載されているものの、桜井住宅地の状況についての記載は発見できなかった。
(2021年10月23日リンク確認)
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『新修豊中市史第9巻』豊中市史編さん委員会/編集 豊中市
- 『阪急宝塚線・能勢電鉄』山下 ルミコ/著 彩流社
- キーワード
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- 箕面市(ミノオシ)
- 大阪(オオサカ)
- 歴史(レキシ)
- 桜井住宅地(サクライジュウタクチ)
- 阪急電鉄(ハンキュウ デンテツ)
- 明治(メイジ)
- 大正(タイショウ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000305032