レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月01日
- 登録日時
- 2014/07/03 09:30
- 更新日時
- 2014/07/03 09:34
- 管理番号
- 牛久-1157
- 質問
-
未解決
鎌倉権五郎の死については、桂川の丸木橋で死んだという説と、
シラハタ(シラハタヤマ)神社の前で自殺したという説があるらしい。
シラハタ神社またはシラハタヤマ神社の場所を知りたい。
「牛久市史中世史」のp217にも記述があった。
- 回答
-
鎌倉権五郎の死については当館の資料では
丸木橋で亡くなったもという記述しか見つけられなかった。
シラハタヤマ神社は「白旗山神社」という表記で
牛久市の久野町にあることが判明した。
- 回答プロセス
-
①質問者の言う「牛久市史中世史」という資料は存在しないため、
『牛久市史 原始・古代・中世』(牛久市史編纂委員会/牛久市/2004)や
『牛久市史料 中世1,2』(牛久市史編纂委員会/牛久市/2000,2002)のp217や前後のページを確認。
→質問者の言うような記述は見られない。
②『うしく歴史散歩』(木村 有見/筑波書林/1995)を確認。
→p53【桂町】を見るが、シラハタヤマ神社に関する記述なし。
③『常総台地村落の生活と慣行』(早稲田大学人間科学部人間基礎科学科/2000)をあたる。
→p396、397、399に白幡山の八幡神社の写真と説明あり。自殺に関する記述はなし。
④生涯学習課で作成している「牛久の散策路を楽しもう」というパンフレットの
桂ルートに白旗山神社が掲載されている。
⑤鎌倉権五郎の死の経緯を知るため『伝承口碑鎌倉権五郎景政』(武川 秀男/牛久市立図書館/1992)を確認。
→p22に“景政は桂川にかかる丸木橋をやっとの思いで渡り始めましたが、途中で足を踏み外し
人馬もろともまっさかさまに、川底に堕ちてしまいました。”という記述があった。
また、p10には“景政は台地の橋まで追い詰め、一人残らず討ち果たすとその場所に白い旗を納めました。
(そこにはのちに、祠が建てられ「白幡山神社」と呼ばれるようになりました。)”という記述もあった。
自殺に関する記述はなし。
③④⑤を紹介し、レファレンス終了。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 鎌倉権五郎
- シラハタ(シラハタヤマ)神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 一般男性
- 登録番号
- 1000155425