レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/04/01
- 登録日時
- 2023/12/23 00:30
- 更新日時
- 2023/12/24 11:03
- 管理番号
- 所沢本-2023-025
- 質問
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解決
包丁等によく「関孫六」とあるが、「関の孫六」とは、いつ頃の人でどんな人だったのか、知りたい。
- 回答
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以下の資料に記載があります。
〇『世界大百科事典 5』(平凡社 2007年)「かねもと(兼元)」の項
〇『日本大百科全書 21』(小学館 1988年)「孫六兼元(まごろくかねもと)」の項
〇『国史大辞典 3』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983年
〇『日本刀大百科事典 2』 福永酔剣/著 雄山閣出版 1993年
- 回答プロセス
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1.所蔵資料の内容確認
△『世界大百科事典 15』P521に「せきのまごろく 関の孫六→兼元」と記載あり。
〇『世界大百科事典 5』P528「かねもと(兼元)」の項に「美濃国の刀鍛冶。兼元を名のる刀工は室町中期から江戸時代にかけて数代、数工いるが、最も著名なのは関の孫六といわれる室町末期の大永・享禄(1521-32)ころの2代目兼元である。(後略)」との記載がある。
△『日本大百科全書 13』P556に「関孫六 せきのまごろく→孫六兼元」と記載あり。
〇『日本大百科全書 21』P859「孫六兼元(まごろくかねもと)」の項に「…室町後期、永正年間(1504~21)に活躍した美濃(岐阜県)の刀工。(中略)もっとも著名なのは、二代目の孫六兼元である。俗称の孫六にちなみ、江戸時代には「関孫六」の名で有名になったが、孫六兼元は濃州赤坂に住み、関には居住していない。関に居住した三代兼元と誤って伝えられたものとみられる。(後略)」との記載あり。
2.後日調査の追加事項
〇『国史大辞典 3』 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983年
p484-485「かねもと 兼元」の項に「美濃国の刀工。同国赤坂(岐阜県大垣市)に住し、明応からの年紀作がある。のちに関(同関市)に移る。(中略)二代目は十六世紀初めの名工で、孫六兼元と称し、大仙兼元の刀、柳生兼元の刀など傑作が多い。」との記載あり。
〇『日本刀大百科事典 2』 福永酔剣/著 雄山閣出版 1993年
p35「かねもと 兼元」の項目あり。「濃州末関の代表工。"関の孫六"の名で大衆にも知られ、和泉守兼定と末関の双璧をなす。しかし、その身許については異説が多い。(後略)」との記載あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本語 (031 9版)
- 金工芸 (756 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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- 世界大百科事典 5 平凡社 2007.9 031
- 日本大百科全書 21 小学館 1988.5 031 4-09-526021-1
- 国史大辞典 3 国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1983.2 210.033 4-642-00503-X
- 日本刀大百科事典 2 福永酔剣/著 雄山閣出版 1993.11 756.6
- キーワード
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- 関の孫六
- 兼元
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 一般
- 登録番号
- 1000343897