レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年07月21日
- 登録日時
- 2023/02/16 17:34
- 更新日時
- 2023/03/06 10:59
- 管理番号
- 24523
- 質問
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解決
十河存保の中富川合戦敗走について、その様子と、合戦後の十河存保の家臣の動きについて知りたい。
- 回答
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1 十河存保の敗走について
中富川の戦いに敗れ、敗走する十河存保についての記述が下記資料にあり。
【参考資料1】
p447~450「南海通記 巻之十五 阿洲中富川合戦記」の項
中富川から勝瑞城へ敗走
p451~452「南海通記 巻之十五 勝瑞城攻記」の項
勝瑞城から東讃岐へ敗走
p461「南海通記 巻之十五 十河存保乞援兵秀吉公記」の項
勝瑞城から讃州虎丸ノ城へ敗走
【参考資料2】
p218~220「第4編 中世/第4章 争乱の時代/第4節 戦国の終焉/長宗我部の侵攻」の項
【参考資料3】
p131~133「第2章 中世/8長曽我部元親の侵入/(1)十河存保と虎丸城」の項
【参考資料4】
p16「東讃戦国史(16) 十河存保と中富川合戦」(坂口 友太郎/著)の項
中富川合戦の敗走について次のようにあり。
「-略-大敗を喫し、存保も味方とともに討死覚悟で、敵中に駈け入らんとしたが、家臣に止められ、心ならずも勝瑞城に逃げ込んだ。」
2 十河存保の家臣について
戦後の十河存保の家臣の動きに関する記述は確認できなかった。
ただし、上記参考資料に中富川の合戦で戦死した代表的な武士の名前や、合戦後の十河存保と行動を共にした人物に関する記述あり。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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【参考資料1】『南海通記・四国軍記』香西成資著,歴史図書社,1976. (戦記資料)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I81-00 -
【参考資料2】『大内町史』大内町史編さん委員会編,大内町,1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001796806-00 -
【参考資料3】『白鳥町史』白鳥町史編集委員会編,白鳥町,1985.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001759423-00 - 【参考資料4】「広報しろとり 第341号」白鳥町総務課編,白鳥町役場,1989.
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【参考資料1】『南海通記・四国軍記』香西成資著,歴史図書社,1976. (戦記資料)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000329071