レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2024/02/02 11:30
- 更新日時
- 2024/03/10 14:47
- 管理番号
- 米図20231125
- 質問
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解決
米子市内を流れる米川の上の戸上地区に「綿の種」をとるための水車小屋があったと聞いた。かつて綿の種を洗って種から油をとっていたらしい。資料が欲しい。
- 回答
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米川は日野川から取水する農業用水路で、取水口が米子市観音寺戸上にある。
【資料1】『新修 米子市史 第9巻 資料編 近世2』(米子市史編さん協議会∥編 2002.3)P290掲載の「安田恵三家文書」に記述あり。
【資料2】『米子の道しるべ散歩』P4に「車尾の道標」掲載あり。道標に刻まれている施主名の屋号に「油屋」が確認できる。
【資料3】『新修米子市史第12巻』P145「会見郡観音寺村田畑地続全図」(米子市山陰歴史館蔵)に、日野川と法勝寺川の合流点付近の取水口(用水路を入ってすぐ)の個所に「水車」の文字が読める。解説文に「江戸時代末期には精米、製粉、綿実油絞りが行われた」とある。
以下、回答プロセスに詳細を記載する。
- 回答プロセス
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(1)Google検索「観音寺 戸上」で検索→ブログ「とかみん」~米子市観音寺地区「さんさん会」だより~がHIT。http://33kannonji.blog.fc2.com/blog-entry-230.html (2023.12.1確認)
(2)ブログタイトル「米川がもたらしたもの」に【資料1】掲載の「安田家文書」について説明文あり。
「安田憲三さまの4代前の方が、江戸末期に(安政6年1856年)に但馬の国から戸上水車開発のために分家してこられ、精米・製粉はもちろん、当時高価な綿実油(めんじつゆ:綿の実をしぼって出来る油…和ろうそくの原料)の製造など、事業を大きくしていかれたことが書かれています。」とある。
(3)同ブログで2014.11.29の記事を確認。「小地井手(コジイデ)という米川から戸上むらで分かれて日野川土手したを流れる川がある。この川は実は米川よりも古く、車尾の深田庭園の池の水源にもなっている由緒ある川」と記載されている。http://33kannonji.blog.fc2.com/blog-entry-436.html (2023.12.1確認)
(4)同ブログ2014.8.25の記事「米川源流 江戸、明治、平成」を確認。(3)のコジイデ川にも水車があったことが書かれている。
http://33kannonji.blog.fc2.com/blog-entry-388.html (2023.12.1確認)
(5)以上、(1)~(4)を受けて【資料1】『新修 米子市史 第9巻 資料編 近世2』所収「安田家文書」を確認。P290「相渡申証文之事」に「戸上水車開発之儀ニ就而者…」記述あり。
(6)【資料2】『米子の道しるべ散歩』P4「車尾の道標」を確認。
(7)米子市立山陰歴史館(http://www.yonagobunka.net/rekishi/)令和5年度蔵品展「いつもはしまってある絵図・地図展Ⅱ」で「会見郡観音寺村田畑地続全図」を閲覧。日野川と法勝寺川の合流地点あたりに「水車」の文字を発見。【資料3】『新修米子市史第12巻』P145を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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【資料1】米子市史編さん協議会 編. 新修米子市史 第9巻 資料編 近世2. 米子市, 2002.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003627358 -
【資料2】米子市教育委員会 編. 米子の道しるべ散歩 1. 米子市教育委員会, 1998. (米子市文化財読本)
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I31111100447567 -
【資料3】米子市史編さん協議会 編. 新修米子市史 第12巻(資料編 絵図・地図) 改訂版. 米子市, 2004.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007320089
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【資料1】米子市史編さん協議会 編. 新修米子市史 第9巻 資料編 近世2. 米子市, 2002.
- キーワード
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- 水車
- 車尾
- 米川-米子市
- 日野川
- 法勝寺川
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000345881