レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年10月25日
- 登録日時
- 2023/10/28 14:32
- 更新日時
- 2023/11/16 21:54
- 管理番号
- 県立長野-23-111
- 質問
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解決
藤沢郷(現:伊那市高遠町藤沢)に戦国時代にいたという、保科八郎左衛門と保科浄満(または保科正満)について知りたい。
- 回答
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当館で所蔵する次の資料で記述があった。
・『藤沢村史』宮下一郎編 藤沢村史刊行会1942【N242/7】
p.202-208に2つの「藤沢氏系圖」があり、説明として「其の祖先は保科正英より出でて正英の子、正滿初めて
土地の名を以つて氏となし改名して藤沢淸之後八左衛門、藤澤御堂墻の地士となる」と記述されており、代々通
称として「八左衛門」を使用していたようだ。
また、p.61-112「第一編 第三章 保科氏」やp.179-271「第二編 第三章 村政」、p.576-590「第二編
第八章 人物誌」の中に「藤澤八左衛門」の記述が散見される。
・『高遠の古記録 第9巻』高遠文化財保護委員会 1963 19-20コマ
「諸事記」は、石川重左衛門という高遠藩代官が在職中に編著したという、郷村に残る古記録を記録した資料。
p.25-26に「御堂垣外村の八左衛門先祖」についてまとめられており、ここに「保科八郎左衛門」が出てくる。
「保科八郎左衛門(弾正正展 -中略- 父は越前守と云、天文十七申年信玄と戦い -後略- )」から始まり、
ひ孫にあたる「藤沢六郎右衛門」が保科に仕え会津へ、弟の三郎右衛門が御堂垣外(みどうがいと)村に留まった
ことが記されている。
・『高遠町誌 人物篇』高遠町誌人物篇編纂委員会編 高遠町誌刊行会 1986【N242/79/3】
p.356「保科家親」の記述中に長禄三年(1457年)の頃に藤澤庄を支配していたとある。
また、p.488高遠町年譜の天正九年(1581年)に、「勝頼保科正直に片倉村農民の還住を命じ藤澤郷の八郎
左衛門に命じて欠落農民の年貢徴収を命ずる」とある。
・『保科氏八百年史』牧野登著 歴史調査研究所 1991【N288/148】
前編は長野県における保科氏、後編で全国に展開した保科氏についてまとめられた資料。
付録として人名索引があり、「保科(藤沢)八郎左衛門」及び「保科正満」が確認できる。
・『信濃の戦国武将たち』笹本正治著 宮帯出版社 2016【N280/192】
p.251-257の「保科正直」記述中に、複数「保科八郎左衛門」「藤沢の八郎左衛門」が見受けられる。
・『信濃中世武家伝』田中豊茂著 信濃毎日新聞社 2016【N288/335】
p.307-313の「保科氏」記述中に、戦国時代の高遠における保科氏の動きについてもまとめられている。
「保科八郎左衛門及び保科浄満」の名は確認できないが、保科氏の系譜が載っている資料は次の通り。
・『信濃史源考 第5巻』小山愛司編纂 歴史図書社 1976 129-146コマ
保科氏の「保科系図」
・『蕗原拾葉 第12輯』長野県上伊那郡教育会編 鮎沢印刷所 1975 7-20コマ
保科氏の「保科畧系」
・『寛政重脩諸家譜 第2輯』國民圖書 1923 160-164コマ
保科正則が先頭の系図及び保科正英(旗本保科氏)が先頭の系譜
なお、『藤沢村史』に登場する「保科正英」と、旗本保科氏初代当主である「保科正英(まさふさ)」とは別人。
参考情報として、『長野県歴史人物大事典』神津良子編 郷土出版社1989【N283/13】p.621-622に長野県における有力氏族であった「保科氏」、「保科正直」「保科正光」「保科正之」の項目がある。江戸時代初期、高遠藩主であった保科正之が高遠藩から会津藩へ移封となり、この時、臣下の多くが保科正之と共に会津に移ったことが書かれている。
会津藩があった福島県に保科氏及び家臣にまつわる資料が多く残っており、確認することを勧めた。
<最終確認日:2023/11/4>
- 回答プロセス
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1 事前調査済み資料である『角川日本地名大辞典 20』角川日本地名大辞典編纂委員会 角川書店 1990【291.03/カド/20】で該当項目を確認。武田信玄からの書状に「保科八郎左衛門」の名が出ているとの記述があり、出典は『信濃史料』となっていた。
2 NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブで『信濃史料』がデジタル化されているので、上記資料を探す。武田信玄ではなく、武田勝頼からの書状中に名前があることを確認。
3 長野県の有力氏族であった保科氏の一員である可能性から、郷土資料分類「N280」代の書架で資料を見て保科氏の系譜など確認する。
4 藤沢郷が高遠藩の領内であることから、高遠藩関係資料を書架で確認する。
5 自館蔵書検索で、書名「藤沢」「藤澤」で検索し、回答の『藤沢村史』を発見する。藤沢郷及び保科氏・藤沢氏について詳しい記述があり、藤沢氏の系図に質問の名前を見つける。
6 江戸時代初期に高遠藩主であった「保科正之」が会津藩に移封となり、その際家臣の多くも共に移っていることから、そのことも併せて回答した。
- 事前調査事項
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『角川日本地名大辞典 20』藤沢の項目中に、名前が出てくる
- NDC
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- 系譜.家史.皇室 (288)
- 参考資料
- キーワード
-
- 保科氏
- 高遠
- 藤沢郷
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000340303