レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015年1月8日
- 登録日時
- 2015/09/20 10:32
- 更新日時
- 2015/09/20 14:09
- 管理番号
- 県立長野-15-008
- 質問
-
解決
須坂市の墨坂神社(芝宮)内の天満社正面入口両側に石柱があり、それぞれに「筑浦梅華香萬世」「清涼名月照千秋」とある。
インターネットでは、この門柱は明治35年の菅原道真没一千年祭記念として立てられ、亀田雲鵬の揮毫による文字がある、という記載が見られるが、この詩(句)の出典を知りたい。
- 回答
-
当館の調査では不明。
また、公益財団法人斯文会様を通じ、早稲田大学名誉教授村山吉廣様に調査いただき、「おそらく亀田雲鵬の句と思われるが、雲鵬は詩集を残しておらず確認できない。雲鵬は学祖亀田鵬斎(曽祖父)や亀田鶯谷(父)の詩句を書くことが多いが、それらには見当たらない。須坂で交わりのあった北村方義の句を借用したかとも考えたが、方義の漢詩集にもない。」旨の回答をいただいた。
- 回答プロセス
-
1 以下の郷土資料を確認するが記載なし。
ア 『天満宮実事縁記』浅川雄太郎/編 浅川活版所 1899年 当館図書請求記号【N173/4】
イ 『文化財 神社寺院』須坂市教育委員会/編・発行 1956年 【N171/20】
ウ 『墨坂ノ神信仰の軌跡』 須坂史談会 1999年 【N171/41】
エ 『信濃碑文目録』市川本太郎/編 市川文庫 1965年 【N202/18】
オ 『信濃碑文録 巻之上』丸山清俊/著 慶林堂 1980年 【N202/518】
カ 『須坂市人物誌』須坂市人物誌編集委員会/編 須坂市 1966年 【N214/31】
キ 『須坂市史』須坂市史編纂委員会/編 須坂市 1981年 【N214/50】
ク 『ふるさと須坂』ふるさと須坂歴史と文化財編纂委員会/編 須坂市教育委員会 2011年 【N214/62a】
ケ 『亀田鵬斎 北遊事蹟』杉村英治/著・発行 出版年不明 【N289/カメダ】
コ 『須坂市文化財 仏像・民間信仰』須坂市教育委員会/編・発行 1959年 【N386/13】
サ 『新撰 須坂市の文化財』新撰須坂市の文化財調査会/編・発行 1984年 【N709/92】
シ 『須坂市の石造文化財 ガイド編』須坂市教育委員会/編 ほおずき書籍 2005年 【N714/77】
ス 徳永隆寿「立町天満宮について」(『須高』第10号 須高郷土史研究会 1979年)
セ 田幸喜久雄「墨坂神社の論社 芝宮と小山八幡社について」(『須高』第25号 1987年)
ソ 「近代碑文集(その2・須坂地域)」(『須高』第26号 1988年)
タ 森川芳太郎「墨坂神社(芝宮)社務所振興殿」(『須高』第34号 1992年)
チ 馬場廣幸「墨坂神社の周辺」(『長野』207号 長野郷土史研究会 1999年)
ツ 『春木町あれこれ』 春木町史談会 2004年 【N214/103】
テ 『春木町よもやま話』 春木町史談会 2007年 【N214/108】
ト 『東横町区誌』東横町区誌編集委員会/編・発行 2000年 【N214/92】
ナ 『須坂市域の史料目録 第1集』 須坂市誌編さん室 2009年 【N214/116/1】
資料ツ、テ、トが芝宮が所在する地域の歴史を扱っており、各資料とも芝宮に関する記述がある。
テには「芝宮天満宮の門柱」という短文も掲載されている。
門柱に書かれている文が、菅原道真が梅を好んだことと、道真の「九月十日」という漢詩を念頭に置いたものと
思われる、とある。書が亀田雲鵬によることは書かれているが出典については記載なし。
またスやテによると、門柱がつくられた明治35年当時は、天満宮は別の場所にあり、明治41~42年頃に現在の
芝宮内に遷宮されている。
資料スには明治35年の「菅公壱千年祭が五月二十四日から三日間にわたって」催されたという記載が
ある。
「信濃毎日新聞データベース」で 周辺の日付の紙面を調査。5月23日3面の「須坂通信」欄に「立町天満
宮一千年祭廿四より三日間執行の筈にて目準備中なり」という記載があるが、祭りの詳細や門柱についての記
載は見当たらない。
資料ナに「中澤吉四郎文書目録」が収録されており(中澤吉四郎は明治22年から44年まで須坂町長)、「町
政に関する記録類」のなかに「社寺関係」がある。そのなかに明治35年の天満宮修繕請求書、天神社関係とい
う資料が見られるので、同史料を所蔵する須坂市誌編さん室へ問い合わせたが、不明とのこと。
市立須坂図書館所蔵の『墨坂神社の栞』田幸喜久雄/著・発行 2002年、『墨坂神社(由緒書)』小林肇/著・
発行 1984年、『墨坂神社』北島袈 裟則/著 2009年にも記載がないとのこと。
2 天満社に置かれている石柱なので、菅原道真の漢詩を確認。
以下の資料からは該当するものが見つからない。
ニ 『日本詩紀本文と総索引 本文編』高島要/編 勉誠出版 2003年 【919.3/タカ/1】
ヌ 『菅家文草 菅家後集詩句総索引』川口久雄[ほか]/編 明治書院 1978年 【919.3/カヒ】
3 亀田雲鵬の作によることを考え、雲鵬について調査。
ネ 『日本書画鑑定大事典 第1巻』中野雅宗/編 国書刊行会 2006年 【721.03/ナガ/1】
亀田雲鵬について「名は藹、字は吉士、東京の人、鶯谷の子、詩を能くし書画に巧みなり、また篆刻を能く
す、快淡にして名利を求めず、故にこれを知るひと少し、明治年間の人。」とあるが、著作(詩集等)に関す
る記載はない。
また、国立国会図書館でじたるコレクションで閲覧できる資料『江戸の噂:随筆』三田村鳶魚/著 春陽堂
1926年 の目次に「雲鵬先生」がみつかる。詩作については「先生の旧製を覓ても殆ど今に存するものはな
い」とあり、詩集などは残されていないらしい。
4 国立国会図書サーチで「亀田雲鵬」を検索すると、雑誌『斯文』第125号に亀田雲鵬に関する論文が2編収録
されている。
『斯文』を発行する公益財団法人斯文会様(史跡湯島聖堂)に調査の経緯を伝え、上記の号に亀田雲鵬の年
譜が掲載されていないか照会。
斯文会様から、「年譜は掲載されていないが、上記論文の著者の一人である村山吉廣先生に相談したところ
調査を引き受けていただけたので、当館へ直接回答がある」との回答。
村山様から上述の回答をいただく。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 漢詩文.日本漢文学 (919)
- 参考資料
- キーワード
-
- 亀田雲鵬
- 芝宮(長野県須坂市)
- 照会先
-
- 公益財団法人斯文会様
- 早稲田大学名誉教授 村山吉廣様
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000180198