レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20220811
- 登録日時
- 2022/09/09 12:53
- 更新日時
- 2023/12/19 16:58
- 管理番号
- 塩尻699
- 質問
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解決
塩尻市の名前の由来を知りたい。
できるだけ古い文献が望ましい。
- 回答
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複数の資料にいくつかの説が見つかった。
主なものとして、
・塩の移入ルートの境界線であるとの説
・この地から見た富士山が塩田の塩の山(塩尻)に見えたことにちなむとの説
・この土地の土目によるものであるとの説
などが挙げられており、どの説が有力であるかは資料により異なる。
古い説としては、塩田に関する説(伊勢物語が出典となっている)が挙げられる。
- 回答プロセス
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塩尻市に関する資料のほか、長野県の地名に関する資料をあたった。
【資料1】P85-87 「塩尻地名考」の項目あり。筆者の考えとして、地名のついた後から考えられた説もあるように思えるとしたうえで、
・太古安築の平が湖水であって其の潮尻であるとの説
・日本海方面からの移入の塩の境界だとの説
・アイヌ語説
・塩川尻説
などを挙げている。
筆者が最も有力と考える説として
・「徳川時代の国学者伴信友の著書『比古裟衣』に
岐蘇の驛路塩尻より越ゆる間の山に塩尻峠といふあり、その峠より諏訪の水うみ一目に見下ろさるゝが、(中略)と、伊勢物語に富士の形を塩尻の如しと云ひはじめてから、塩尻を富士の別名のやうに使った」と説明している。
【資料2】P43 塩尻-塩の終着地が地名の由来 p44に、「一般に“塩尻”は太平洋と日本海から届く塩の終点地から由来したといわれているが、それより以前に、京都の旅人が塩尻峠からながめた富士の姿が、故郷の塩田の部分に似ていると、塩尻峠と名付けた。」と、【資料1】と同様の記述がある。
【資料3】P245 13東筑摩・塩尻 10 塩尻市 塩尻という地名について、地形、地質に関するものであるとしたうえで、「塩尻とは、製塩のさい塩田の砂をかき集め、うず高くしたもので、有名な『伊勢物語』にもはじめて富士山をみた在原業平の感懐として『富士山は塩尻のような形をしていて(中略)』と書かれている。」と説明している。
【資料4】p165 地名「塩尻」(塩尻市)の由来 塩の移入ルートによるものとの説のほか、「『塩尻』一帯は強粘土質の赤土地帯であることは間違いなく、注目点は、ここ『旧塩尻』では山が北方の高ボッチ山から徐々に低くなり、その稜線が平地に接している終末部、すなわち『尻』である。(中略)強粘土質の土目を『しお』(塩)といい、その終末部が『塩尻』ということになる。」との記述がある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215)
- 日本 (291)
- 参考資料
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【資料1】大森利球治, 三沢勝衛 著 , 大森, 利球治 , 三沢, 勝衛, 1885-1937. 塩尻町誌. 塩尻町誌刊行会, 1937.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000716035-00 -
【資料2】毎日新聞社長野支局 編 , 毎日新聞社. 信濃の宿. 第一法規出版, 1969.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001290330-00 -
【資料3】信濃毎日新聞社 編 , 信濃毎日新聞社. 新しなの地名考. 長野 信濃毎日新聞社, 1975.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I088810372-00 -
【資料4】松崎 岩夫/著 , 松崎 岩夫. シリーズ 日本の地名その由来 3. 信濃古代文化研究所, 2015-09.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I068856989-00
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【資料1】大森利球治, 三沢勝衛 著 , 大森, 利球治 , 三沢, 勝衛, 1885-1937. 塩尻町誌. 塩尻町誌刊行会, 1937.
- キーワード
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- 塩尻
- 地名
- 由来
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000321027