レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月03日
- 登録日時
- 2015/10/28 16:29
- 更新日時
- 2015/12/13 14:21
- 管理番号
- tr383
- 質問
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解決
宇都宮城の城主であった「とだただゆき」が、徳川氏に代わって代理社参行列を行った絵巻がある。いつごろ行われたのか、また、代理の理由が知りたい。
- 回答
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代理社参の時期について、記述を確認した資料は以下のとおりです。
文久3年(1863年)4月16日 「江戸御発足、日光エ向ハセラル」
『宇都宮城主戸田忠恕記 安政3年7月~文久3年12月 上』(徳田浩淳/編 下野史料保存会 1967)17丁より
文久3年(1863年)4月17日 「忠恕公宇都宮城入城」
『幕臣戸田一族の系譜』(戸田博亘/著 サツキプロセス 1984)p.253-256「文久三癸四月十七日戸田越前守藤原忠恕公宇都宮城入城行列」より
文久3年(1863年)4月20日 「戸田越前守殿自拝有之」
『社家御番所日記 第21巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1981)p.315より
文久3年(1863年)4月24日 「日光ヨリ御帰府アリ」
『宇都宮城主戸田忠恕記 安政3年7月~文久3年12月 上』(徳田浩淳/編 下野史料保存会 1967)17丁より
代理の理由を明確に述べている資料は確認できませんでした。
忠恕の次代である忠友(ただとも)が、慶応3年(1867年)4月に十五代徳川慶喜に代わって、東照宮に代参している記録を確認しました。
その時の代参理由等は『幕臣戸田一族の系譜』(再掲)p.235に掲載されています。
- 回答プロセス
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1 「とだただゆき」について調査
・『藩史大事典 第2巻(関東編)』(木村礎/〔ほか〕編 雄山閣出版 1989)
「戸田忠恕 在 安政3.7.25~慶応1.1.25」とあり。
2 宇都宮城に関する資料から調査
・『名城宇都宮城 しろとまちの移り変わり』(栃木県立博物館/編、発行 2006)
※平成18年度 栃木県立博物館企画展の図録。
p.48に「入城之図(戸田越前守忠恕行列絵巻、部分)」が掲載されている。図の説明には「文久3年(1863)年に14代将軍家茂(いえもち)の代参で忠恕が大猷院廟(たいゆういんびょう)に向かう際、一行が宇都宮城に入城する様子を描いている。」とある。
3 戸田氏に関する資料から調査
・『幕臣戸田一族の系譜』(戸田博亘/著 サツキプロセス 1984)
p.253-256「文久三癸四月十七日戸田越前守藤原忠恕公宇都宮城入城行列」
忠恕の宇都宮城入城行列の並び(順番、役方(役割)、人数)が掲載されている。
p.235-252 「宇都宮藩主戸田忠友日光東照宮代参の記録(林家蔵)」
戸田忠友(忠恕の次代)代参の記録が掲載されている。
p.99-190 「系譜並びに代々の事蹟」に忠恕の項がある(p.148-153)。
・『宇都宮城主戸田忠恕記 安政3年7月~文久3年12月 上』(徳田浩淳/編 下野史料保存会 1967)
16-17丁に文久三年四月の記録がある。
・『宇都宮郷土史 再編復刻版』(徳田浩淳/著 ヨークベニマル 1996)
p.29-30 「戸田忠恕」の項に、代参の記述なし。
4 日光社参から調査
・『社家御番所日記 第21巻』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1981)
p.315下段「文久三年四月廿日」に「御霊屋御名代戸田越前守殿自拝有之」とあり。
・丸山寿/著「家康忌日と日光参詣」(『史学論集 第9号』(駒沢大学大学院史学会 1979)p.18-90所収)
p.24「各高家の日光代参使任命数」にから、戸田家は8回任命されたことが分かる。
・『日光参詣の道』
p.8-15「日光山への道」に日光社参の記述あり(p.8-10)。忠恕についてはなし。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
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- 日光社参
- 江戸時代
- 宇都宮城主
- 戸田忠恕
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000183014