レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年06月12日
- 登録日時
- 2014/12/26 12:07
- 更新日時
- 2014/12/26 12:07
- 管理番号
- tr342
- 質問
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解決
徳川家康の遺骨が日光へ運ばれた時に、一団をまとめるリーダーとして「土井利勝(どいとしかつ)」という人物がいたという記事を読んだ記憶がある。それが本当か、書いてある本を教えてほしい。
また、家康の遺骨を納めるために東照宮に向かった一団の、旅記録のような資料があったら教えて欲しい。
- 回答
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・『日光市史 中巻(近世)』(日光市史編さん委員会/編 日光市 1979)
p.90-96の「日光山へ遷霊」の項に、久能山から日光に神柩を移した際の記録がある史料の紹介と解説があります。
p.91に、久能山から日光までの随行者が挙げられており、土井利勝も含まれています。
しかし、土井利勝が一団をまとめるリーダーであったのかは、確認できませんでした。
p.93には「家康の霊柩・遷葬コース図」があり、何日にどの地域を通過したのかがまとめられています。
・『日光東照宮の成立 近世日光山の「荘厳」と祭祀・組織』(山澤学/著 思文閣出版 2009)
p.32に「久能山から日光への遷宮については、これに供奉した昵懇衆の一人、大納言烏丸光広は紀行文「御鎮座之記」に著している。」とあります。
・『神道大系 神社編 25 上野・下野國』(神道大系編纂会/編,西垣晴次/〔ほか〕校注 神道大系編纂会 1992)
p.159-164に「御鎮座之記」が収められています。
・『東照宮史』(別格官幣社東照宮社務所/編、発行 1927)
p.39-40の「改葬」の項に、「天海大僧正は奉迎の為に駿河に下り、三月十五日を以て神柩を金輿に移し奉り、本多上野介正純・土井大炊頭利勝を初め(略)随従して、久能山の神廟を発し」とあります。(p.39)
以下の資料には、お求めの情報は確認できませんでしたが、ご参考までに紹介します。
・『徳川家康公』(中村孝也/著 全国東照宮連合会 1983)
p.60に以下の記述がありましたが、遺骨を運んだ一団に関する記述はありませんでした。
「神棺は三月十五日久能山を出で、(略)四月四日日光山の座禅院に入られ、八日奥院に安置せられた。」
・『栃木県神社誌 神乃森 人の道』(栃木県神社庁/編、発行 栃木県神社庁 2006)
p.189-207の「東照宮」の項に、久能山を出て、日光に到着した旨の日付の記述がありましたが、移動中の記述はありませんでした。(p.190)
・『栃木県歴史人物事典』(栃木県歴史人物事典編纂委員会/編集 下野新聞社 1995)
p.417に「土井利勝」の項がありますが、家康の遺骨を運んだ旨の記述はありませんでした。
p.423に「徳川家康」の項がありますが、久能山から日光への移送に関する詳細な記述は確認できませんでした。
- 回答プロセス
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以下の分野に該当する書架を確認した。また、当館蔵書検索システムからも調査した。
①日光東照宮、神社に関する地域資料を調査
『東照宮史』
『栃木県神社誌 神乃森 人の道』
『日光東照宮の成立 近世日光山の「荘厳」と祭祀・組織』
『神道大系 神社編 25 上野・下野國』
②日光に関する資料を調査
『日光市史 中巻(近世)』
③土井利勝、徳川家康に関する資料を調査
『栃木県歴史人物事典』
『徳川家康公』
- 事前調査事項
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・遺骨を運んだ一団は、久能山から出発している。
・日光東照宮に、4月17日に到着した(確かかどうかは不明)
- NDC
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- 関東地方 (213)
- 参考資料
- キーワード
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- 徳川家康
- 日光
- 土井利勝
- 日光東照宮
- 栃木県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000165428