レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年10月07日
- 登録日時
- 2010/12/19 14:30
- 更新日時
- 2011/01/22 09:53
- 管理番号
- 9000006819
- 質問
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解決
甲府空襲のとき、B29はどのようなルートで侵攻したか知りたい。
- 回答
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1945(昭和20)年7月6日深夜から翌7日未明に行われた甲府空襲では、B29の編隊はマリアナ基地から硫黄島へ、そこから爆撃開始地点(イニシアルポイント)として御前崎を目印に飛行し、駿河湾から侵入し甲府市を攻撃した。詳細については、照会資料をご覧ください。
- 回答プロセス
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1.『甲府大空襲の記録』(甲府市戦災誌編さん委員会編集 甲府市 1983年)を見る。
・「甲府空襲前後」の項には、マリアナ基地を発し東部軍管区内に来襲したB29約200機のうち、その第一梯団約80機が駿河湾を北上した(東部軍管区司令部発表)などの記述がある。
・「本土空襲の中の甲府空襲」の項には、マリアナ基地のB29約200機が、6日11時30分から4時間にわたり東部軍管区内に来襲、中小都市に対して焼夷弾攻撃を行い、そのうち第一梯団約80機が駿河湾より侵入して甲府市に焼夷弾攻撃を加えた旨記述がある。また、『山梨県政七十年誌』からの引用で「…駿河湾を北上したB29の編隊は静岡を経て東北進し、本県に侵入、甲府市を中心に空襲した…」とある。
※『私たちの甲府空襲記録:語り継ごう20世紀を創ろう平和な21世紀を』2006年(甲府市教職員組合 2006年)にも『甲府大空襲の記録』からの引用が掲載。
2.『甲府市史』通史編第3巻(甲府市市史編さん委員会編 甲府市役所 1990年)の第5章「戦時下の甲府」の「甲府空襲」の項には、侵攻ルートについて若干の記述がある。
3.『山梨県史』通史編6 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2006年)の第2章「戦時期」第5節「戦時体制の崩壊」のp293には、「…太平洋上のマリアナ基地を出発したB29が駿河湾上空を北上したのである。甲府市防空本部の発表によると、静岡県を経て東北進したB29約一二〇機(アメリカ戦略爆撃調査団の資料では一三一機)が…」などの記述がある。
4.自館システムで書名「甲府空襲」を検索すると、雑誌の特集記事がヒット。
・「甲斐ヶ嶺(かいがね)」73号(甲斐ヶ嶺出版 2006年9月)には、「講演 甲府空襲はこう行われた」(諸星廣夫[述])があり、「甲府へ来たB29は、まず静岡県の御前崎を目標にして来ました」「甲府空襲は、御前崎から入って、爆弾を落として、右旋回して小田原からグアムへ逃げていったという経過です」などの記述がある。
・「情報山梨」通巻403号(情報山梨企画 1995年7月)、404号(1995年8月)には「昭和50年特集 甲府空襲の真相:米軍「作戦任務報告書」の解析」①~②(遠藤正直著)があり、403号p36に航空路について「表⑤ (2)航路図 作戦番号 第254」の掲載がある。これによると、航空路は、基地から硫黄島へ→北緯34°36’東経138°14’(攻撃始点、硫黄島)→目標(甲府市)→北緯35°14’東経139°9'→硫黄島から基地へ。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 参考資料
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- 『甲府大空襲の記録』(甲府市戦災誌編さん委員会編集 甲府市 1983年) (p12-17,p20-24)
- 「甲斐ヶ嶺(かいがね)」73号(甲斐ヶ嶺出版 2006年9月) (p36-46)
- 「情報山梨」通巻403号(情報山梨企画 1995年7月) (p36)
- 『山梨県史』通史編6 近現代(山梨県編集 山梨日日新聞社 2006年) (p293)
- キーワード
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- 甲府空襲
- 空襲
- B29
- 太平洋戦争
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土(近代以降(明治以降))
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000075656