レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年1月7日
- 登録日時
- 2013/03/28 00:30
- 更新日時
- 2013/05/17 11:23
- 管理番号
- OSPR13010005
- 質問
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解決
岸和田中学校が、明治40年、41年、42年、43年、44年に修学旅行で、江田島の海軍兵学校や呉の鎮守府・工廠に行っています。これは、軍に関する学校への進学や軍人にさせるために選ばれたと考えています。卒業生の進路先で、軍学校への入学者数や軍人になった卒業数(または著名人)を調べていただけないでしょうか。
- 回答
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(1)卒業生の進路先で、軍学校への入学者数や軍人になった卒業数(または著名人)について
軍学校への入学者数や軍人になった卒業数については、下記の資料に掲載された、明治38年、39年、44年、大正4年、5年時点における全卒業生の現況を調査した統計が参考になります。
※明治35年の第一回卒業生から最新の卒業生までのその年度時点での現況が掲載されているため、卒業後すぐ上級学校に行かず、数年後に進学した場合などがあり、年度によって数字や項目の内訳などに変動があります。
◆『大阪府立岸和田中学校一覧』(大阪府立岸和田中学校)
・明治38年(1905)
p.87-88 卒業生現況一覧
第一回(明治三十五年)~第四回(明治三十八年)までの卒業生について統計がありますが、「軍学校」の項目はありません。
(内訳は両帝國大學、各高等學校、各専門學校、各私立學校、陸海軍将校仝相當官仝候補生、一年志願兵其他兵役服役中ノ者、外國在住者、實業從事者、官公吏并ニ學校教員等、其他、死亡(戰死を含ハム)となっています。)
参考までに、軍関係の進路に進んだ卒業生数は次の通り。
第一回 67名中 陸海軍将校仝相當官仝候補生:7名 一年志願兵其他兵役服役中ノ者:6名
第二回 39名中 陸海軍将校仝相當官仝候補生:4名 一年志願兵其他兵役服役中ノ者:3名
第三回 50名中 陸海軍将校仝相當官仝候補生:1名 一年志願兵其他兵役服役中ノ者:5名
第四回 41名中 陸海軍将校仝相當官仝候補生、一年志願兵其他兵役服役中ノ者ともに0名
以上、第一回から第四回までの卒業生197名のうち陸海軍将校仝相當官仝候補生12名、一年志願兵其他兵役服役中ノ者14名となっています。
p.89-105 「卒業生状況」には、第一回から第四回の卒業生の現況、府縣、郡區、町村、氏名の一覧が掲載されています。
・明治39年(1906)
p.66-67 卒業生現況一覧(三十九年十月現在)
第一回(明治三十五年)~第五回(明治三十九年)
(内訳は前年より細かくなっており19項目になっていますが、「軍学校」はなく、軍関係は「陸海軍将校相當官并候補生」と「一年志願兵并ニ現役兵」です。)
第一回 67名中 陸海軍将校相當官并候補生:3名 一年志願兵并ニ現役兵:3名
第二回 39名中 陸海軍将校相當官并候補生:1名 一年志願兵并ニ現役兵:2名
第三回 50名中 陸海軍将校相當官并候補生:1名 一年志願兵并ニ現役兵:3名
第四回 41名中 陸海軍将校相當官并候補生:1名 一年志願兵并ニ現役兵:1名
第五回 61名中 陸海軍将校相當官并候補生、一年志願兵并ニ現役兵ともに0名
・明治44年,大正4年-大正5年度(合冊)
※明治44年(1911)12月1日現在
卒業期が第一回から第十回までの卒業生を、高等ノ學校ニ在ル者、職業ニ從事シ居ル者(専門ノ高等學校卒業ノモノヲ含ム)、兵役其他、死亡に分けた統計です。高等ノ學校ニ在ル者の内訳は、帝國大學、高等學校、高等師範、高等商業、高等工業、醫専、外國語學校、陸海軍、其他の9項目、職業ニ從事シ居ル者の内訳は、陸海軍人、教育、醫、官公吏、會社員、商工、農、外國在住の8項目になっています。
高等ノ學校ニ在ル者(陸海軍)は、一回~五回は0名、六回:50名中1名、七回:50名中2名、八回:51名中2名、九回:46名中1名、十回:38名中1名となっており、全卒業生493名中7名が軍学校に進んでいるようです。
職業ニ從事シ居ル者(陸海軍人)は、一回:2名、二回~四回:各1名、五回:0名、六・七回:各3名、八回~十回:各0名で11名です。
兵役其他は、一~三回:各2名、四回:0名、五~七回:各2名、八・九回:各1名、十回:2名です。
※大正四年(1915)六月一日現在
卒業年度 第一回(明治38年)~第十四回(大正4年)までの卒業生を、中學校以上ノ學校卒業及在學者、職業ニ從事シ居ル者(専門ノ高等學校卒業ノモノヲ含ム)に分けた統計です。中學校以上ノ學校卒業及在學者の内訳は、帝國大學、高等學校、陸海軍學校、高等師範學校、高等商業學校、高等工業學校、醫學専門學校、各種専門、私立大學、商船學校、府縣師範二部、其他の12項目、職業ニ從事シ居ル者の内訳は、陸海軍将校、中等學校教職、小學教職、官公吏、醫師、神官僧侶、農業、工業仝會社、商業仝會社、會社、兵役中一年志願共、海外居住、準備中、其他、死亡の15項目になっています。
中學校以上ノ學校卒業及在學者(陸海軍學校)は、第一回~五回:各1名、第五回:0名、第六回:4名、第七回:5名、第八回:2名、第九・十回:各1名、第十一回:2名、第十二回~第十四回:各0名となっています。
職業ニ從事シ居ル者(陸海軍将校)は、第一回:2名、第二回~五回:各1名、第六回:3名、第七回:4名、第八回:2名、第九回:1名、第十~十四回はすべて0名。
また、職業ニ從事シ居ル者(兵役中一年志願共)は、第一~七回:各0名、第八~十三回:各1名、第十四回:0名となっています。
※大正五年(1916)五月一日調
前年度までのような、卒業年度ごとの統計ではなく、卒業生総数と、創立以來ノ卒業生状況として、上級學校ヘ入学セシ者:266名、卒業後直ニ業務ニ從事セシ者:398名、戰病死者:33名、兵役其他:76名、計773名と、総数が記載されています。大正五年三月卒業生志望状況として、高等學校:2名、高商:4名、醫専:7名、高工:5名、陸軍:2名、高師:1名、師範二部:10名、私立大學:5名、實業:28名、其他:4名、計68名となっています。
◆『岸和田高等学校の第一世紀 通史編』(大阪府立岸和田高等学校校史編纂委員会/編 大阪府立岸和田高等学校岸高百周年実行委員会 1997.11)
第一編教育勅語体制下の岸和田中学校 第1章草創期の岸和田中学校 第1節創立当初の岸中 p101~103に「進路」についての解説があり、『大阪府統計書』等の資料をもとに作成された、岸和田中学校卒業生の進路がわかる表が掲載されています。
また、卒業生で著名な軍人については、学校史の同窓会関係のところなど見てみましたが、残念ながら見つけることはできませんでした。
◆古家誠一「大阪府立岸和田中学(旧制)-その栄光と伝統」(『大阪春秋 12号』1976.12 p.76-78【請求記号:雑/2499/#】)
を見ると、p.78に「同窓会名簿を通覧して第一に注目されることは、卒業生で官界・軍人で名をなしている人のきわめて少いことである。明らかに商都大阪市の周辺都市所在の学校の特色を如実に示しているものである。紡績・繊維・ワイヤロープ・タオル等の中小企業のメッカとも言うべきか。」と書かれており、官界や軍のような公務よりも産業関係の仕事に就いた卒業生が多かったようです。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 教育史.事情 (372 8版)
- 参考資料
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- 大阪府立岸和田中学校一覧(ページ:)
- 岸和田高等学校の第一世紀 通史編(ページ:)
- 岸和田高等学校の第一世紀 資料編(ページ:)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000129751