レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年8月1日
- 登録日時
- 2023/12/23 13:05
- 更新日時
- 2023/12/23 15:57
- 管理番号
- 千県東-2023-0003
- 質問
-
解決
銚子が高崎藩の領地になったのがいつかについて
『銚子市史』には1717年松平が高崎藩主に変わったときからと書いてある。
『高崎市史』には1710年間部が高崎藩主になったときからと書いてある。
どちらが正しいのか知りたい。
- 回答
-
【資料1】~【資料15】に記載がありました。
【資料2】【資料7】、【資料8】以外は千葉県立図書館にあります。
【資料1】【資料3】【資料7】~【資料11】は国立国会図書館デジタルコレクションで図書館・個人送信限定で公開されています。
これらの資料にあることをまとめると概ね、以下のようになると考えられます。
宝永6年(1709)銚子領(下総国海上郡)が間部詮房の領地になる
宝永7年(1710)間部詮房が高崎藩主になる
享保2年(1717)2.11松平輝貞は越後国から上州高崎城へ入封する
6.11間部詮房が領地替えのため銚子領を幕府代官へ引き渡す
7.13間部詮房の旧銚子領は高崎藩松平輝貞の領地となる
なお、『銚子市史』(【資料1】)の記述は『高崎藩御家事向大概』(巻三十三)によるとの記載があります。『高崎藩御家事向大概』は大河内家(松平家)の史料であり、間部家時代の高崎藩の記録はされていないようです。
【資料1】『銚子市史』(島田隆 1956)
p232「第三節 高崎藩主大河内氏」「大河内氏は徳川氏の一族で松平を称し、その先は源頼光の四世、源三位頼政より出たと伝える。(中略)のち宝永7年5月、越後国村上に転封され、代って間部氏五万石が高崎に移ったが、僅か7年にして享保2年2月11日交替して復帰した。同年9月11日、御朱印(有徳院)より下総国海上郡之内拾七箇村加領とのことと、『高崎藩御家事向大概』(巻三十三)に記され、飯沼・新生・本城・高神・荒野・小川戸・長塚・三崎・岡野台・垣根・四日市場・野尻・今宮・小舟木・後草・蛇園・見広の各村高、合わせて五千石と見えている。銚子が高崎藩領となったのは此の時からで、爾後明治に至るまで十世の間、百五十余年の長きに及んでいる。」
【資料2】群馬県立文書館HP/文書群概要「高崎藩大河内家文書」
(https://archive.keiyou.jp/gpa/komonjo/2430/detail)
「本マイクロ資料で収集した文書45点の半数以上が「無銘書」(別に「御家事向大概」ともいう)と呼ばれる大河内家とその藩政に関する記録である。」
【資料3】『高崎史料集 大河内家文書 無銘書 2』(高崎市歴史民俗調査員会編 高崎市教育委員会 1987)
p212-453の無名書三十三(御家事向大概三十三)に該当する部分の「海上郡」と書かれている箇所を確認しましたが、間部詮房が高崎藩主だったときの記録は見つかりませんでした。
p437に享保2年に有徳院から高崎藩が受けた御朱印の記録があり、そこに「下総国海上郡之内拾七箇村」との記載がありました。
【資料4】『寛政重修諸家譜 第1』(続群書類従完成会 1980)
(ページ記載なし)「まえがき」「一、江戸幕府は、寛永18年、諸大名・旗本等に命じて、それぞれその家に伝える家譜・系図を提出せしめ、林羅山等をしてこれを編纂せしめた。即ち「寛永諸家系図伝」である。その後、寛政11年、幕府は若年寄堀田正敦の建議により、更にその続輯・改撰を企て、重ねて諸大名以下に家譜その他の提出を命じ、林述斎等をしてその編纂に従わしめたが、前後14年を費やし、文化9年に完成した。これが即ち「寛政重修諸家譜」であって、すべて1530巻、その幕府への進呈本が現に内閣文庫に収蔵せられている。」
→この記述から【資料5】【資料6】が諸大名の家譜・系図を編纂した、網羅的な情報であることが分かります。
【資料5】『寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会 1981)
p64間部詮房「(寶永)6年3月27日常憲院殿の御遺物無準畫讃の掛幅をたまふ。4月15日侍従に任す。この日摂津國西成、下総国海上両郡のうちにをいて一萬石を加へられ、16日老中の格となり、持鎗二本をゆるされ、5月13日播磨國の所領を摂津國西成郡のうちにうつされる。のち本城に候す。11月3日本城修永のことをうけたまはりにしより、備前長光の御刀をたまふ。7年5月23日上野國群馬、片岡、碓氷三郡のうちにをいて二萬石を加へられ高崎城をたまひ、すべて五萬石を領す。」
【資料6】『寛政重修諸家譜 第5』(続群書類従完成会 1980)
p5松平輝貞「(享保2年)2月11日村上を轉じて舊領越後國蒲原、下総國海上、上野國片岡、群馬碓氷五郡のうちに復し高崎城をたまふ。」
【資料7】『間部家文書 第1巻』(間部家文書刊行会編 鯖江市役所 1980)
p12「表2 詮房の領地の変遷」に宝永6年4月に下総国海上郡(村数17)が知行地になった旨が記されていました。
【資料8】『高崎史料集 間部家文書』(高崎市歴史民俗調査員会編 高崎市教育委員会 1985)
(ページ表記なし)国立国会図書館デジタルコレクション16コマ
「別表1間部詮房 年譜及び知行高一覧・領地変遷」
「宝永6(1709)/年齢:44/役職:老中格/加増:一万石/知行高:三万石/知行地:(4月)摂津国西成郡(村数:20)・下総国海上郡(村数:17)各5000石、(5月)播磨国→摂津国5000石」
「宝永7(1710)/年齢:45/役職:高崎城主/加増:二万石/知行高:五万石/知行地:上野国片岡(村数:3)・群馬(村数:4)・碓氷郡(村数:29)・伊豆国田方君沢郡(村数:21)・下総国海上郡(村数:17)・和泉国・大島和泉郡(村数:8)・摂津国西成郡(村数:15)」
【資料9】『海上町史 総集編』(海上町史編さん委員会編集 海上町役場 1990)
p87「間部詮房の領となる」「猿楽師から身をおこし、小姓として六代将軍家宣に寵愛されて、使用人から二万石の大名までになった間部詮房は、宝永6年(1709)4月15日に侍従となり、摂津国西成、下総国海上両郡の内で一万石を加増されて合計三万石を賜ることとなった。
一ヶ月ばかりたった5月13日に、この領地三万石の内訳を書いた「郷村帳」が、江戸城大手御勘定所で間部氏の家臣真知田理左衛門・藤田丞助に下附された。そこには、下総国銚子領17ヶ村5000石余りの村々の名が記されていた」
p1107-1156年表
p1138「1709(宝永6)4.15間部詮房は、銚子領その他で10,000石の加増を受け、このとき、蛇園・後草・見広村が間部領となる。」
p1139「1717(享保2)2.11松平輝貞は越後国から上州高崎城へ入封される。6.11間部詮房は、領地替えのため銚子領を幕府代官へ引き渡す。7.13間部詮房の旧銚子領(蛇園・後草・見広3ヶ村を含む)は高崎藩松平輝貞の領地となる。」
【資料10】『千葉県海上郡誌』(千葉県海上郡教育会編纂 千秋社 1990)
p193-195「高崎藩」
p194「寶永7年間部越前守詮房、享保2年松平氏(大河内家)再び入り八萬石を領し世襲して明治に至る。而して享保2年海上郡の十七ヶ村は同氏の所領に属し飯沼村に陣屋を置き之を管す。」
【資料11】『群馬県史 資料編 10 近世』(群馬県史編さん委員会編集 群馬県 1978)
p1076-1077松平輝貞
p1077「享保2年2月11日村上をあらためて越後蒲原、下総国海上、上野国片岡・群馬・碓氷五郡のうちに復し高崎を居所とす。
p1078間部詮房「宝永3年正月9日若年寄次席となり相模国のうち一万石領有。同6年4月15日摂津国西成、下総国海上両郡のうち一万石加増。同月16日老中格となる。同7年5月23日(「恩栄録」26日)上野国群馬・片岡・碓井三郡のうち二万石加増、高崎を居所とし、都合五万石領有。」
【資料12】『藩史大事典 第2巻 関東編』(木村礎[ほか]編 雄山閣出版 1989)
p312「[藩主一覧](歴代藩主および石高・所有の変遷)」
この[藩主一覧]の表では、高崎藩主が間部詮房のときから領地に下総国海上郡が増えています(石高変遷年月日 宝永7(1710)年5月23日)。
【資料13】『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)
p614銚子市「天生18年(1590)の徳川家康の関東入国に伴い松平伊昌が飯沼領二千石で当地に入った。江戸時代には市域北西部の香取郡6村と海上郡17村は宝永6年(1709)上野高崎藩領となり、享保2年(1717)幕府領を経て再び同藩領で、以後幕末まで変わらなかった。」
【資料14】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)
p1061銚子市「天生18年徳川家康が江戸城に入城して後、飯沼を中心に2,000石が松平伊昌に支配されることとなった。(中略)「元禄郷帳」によると当市域は、海上郡の飯沼・新生・荒野・今宮・松本・本城・長塚・小川戸・辺田・三崎・松岸・垣根・四日市場・与山・柴崎・高野・三宅・赤塚・塚本・忍・猿田・八木・小浜・親田・常世田村と香取郡の高神・高田・芦崎・岡野台・舟木台・三門・中嶋・正明寺・野尻・小舟木・桜井・富川・下森戸・諸持・宮原・東篠本村からなっていた。享保2年(1717)9月には、海上郡の17か村約5,000石が上野国高崎藩領となり、明治維新にいたっている。」
【資料15】『高崎藩銚子陣屋 ヒゲタが書き留めた高崎藩 高崎歴史資料集成 4』(高崎歴史資料研究会 2021)
p2「下総銚子地域が高崎藩領となったのは、高崎藩主間部詮房の時代からである。」
その後に続く本文は1790-1872年の記録であり、1709-1717年に関する記述は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
-
1.事前調査事項を確認
【資料1】を確認。
p232「第三節 高崎藩主大河内氏」に該当の記載あり。
『高崎藩御家事向大概』(巻三十三)という資料をもとに記述されているとのこと。
Googleを「高崎藩御家事向大概」で検索し【資料2】を発見。
【資料2】の記述から【資料3】を発見。
・『新編高崎市史 通史編 3 (近世)』
デジタル化はされておらず、目次のみ確認可能。
p56に「銚子領」という項目あり。千葉県立図書館の所蔵もないので内容は確認不可。
2.銚子の概要を確認するためGoogleを「銚子市」で検索
「銚子市-Wikipedia」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%9A%E5%AD%90%E5%B8%82)
「沿革」の表より、銚子市の前身が海上郡であることが分かる。
3.海上郡の郡誌と海上町の町史を参照
【資料9】【資料10】を参照。
4.群馬県の県史を参照
【資料11】を参照。
5.地理の辞典を参照
【資料13】【資料14】を参照。
【資料14】の出典から『郷帳篇 3 近世歴史資料集成 第13期第1巻 元禄郷帳』(近世歴史資料研究会編 科学書院 2021)を確認。
p793-797に元禄15(1702)年当時の海上郡の町名の記載はあるが、1710-1717年の記録は見つからなかった。
6.総合人物情報データベースWhoPlusをキーワード「松平輝貞」および「間部詮房」で検索
銚子に関する記述は見つからなかった。
7.千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」および国立国会図書館オンラインを全項目「銚子 高崎藩」で検索
【資料15】を発見。
8.分類記号288(系譜)と210(日本史)の棚を探索
【資料4】【資料5】【資料6】【資料12】を発見。
【資料5】p56の記述より、間部が後に村上や鯖江に移住していることが分かった。
このことから千葉県立図書館ホームページ「図書・雑誌・視聴覚資料検索」および国立国会図書館オンラインをキーワード「間部 村上」「間部 鯖江」で検索。
【資料8】【資料7】を発見。
※参考資料末尾の数字は当館の資料番号です。
(インターネット最終アクセス:2023年8月31日)
- 事前調査事項
-
次の資料は閲覧済み。
『銚子市史』(島田隆 1956)
『新編高崎市史 通史編 3 (近世)』(高崎市市史編さん委員会編集 高崎市 2004)
- NDC
-
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 日本 (291 9版)
- 参考資料
-
-
【資料1】『銚子市史』(島田隆 1956)(2100625448)
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3022402)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) -
【資料2】群馬県立文書館HP/文書群概要「高崎藩大河内家文書」
(https://archive.keiyou.jp/gpa/komonjo/2430/detail) -
【資料3】『高崎史料集 大河内家文書 無銘書 2』(高崎市歴史民俗調査員会編 高崎市教育委員会 1987)
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9644118)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) - 【資料4】『寛政重修諸家譜 第1』(続群書類従完成会 1980)(2100505520)
- 【資料5】『寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会 1981)(2100505735)
- 【資料6】『寛政重修諸家譜 第5』(続群書類従完成会 1980)(2100505566)
-
【資料7】『間部家文書 第1巻』(間部家文書刊行会編 鯖江市役所 1980)
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9538300)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) -
【資料8】『高崎史料集 間部家文書』
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9643432)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) -
【資料9】『海上町史 総集編』(海上町史編さん委員会編集 海上町役場 1990)(2190016340)
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9644494)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) -
【資料10】『千葉県海上郡誌』(千葉県海上郡教育会編纂 千秋社 1990)(2101392298)
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9640257)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) -
【資料11】『群馬県史 資料編 10 近世』(群馬県史編さん委員会編集 群馬県 1978)(9102201624
)
(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9641504)
(国立国会図書館デジタルコレクション国立国会図書館/図書館・個人送信限定) - 【資料12】『藩史大事典 第2巻 関東編』(木村礎[ほか]編 雄山閣出版 1989)(2100794558)
- 【資料13】『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)(2100572193)
- 【資料14】『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会編 角川書店 1984)(2100519919)
- 【資料15】『高崎藩銚子陣屋 ヒゲタが書き留めた高崎藩 高崎歴史資料集成 4』(高崎歴史資料研究会 2021)(2102944476)
-
【資料1】『銚子市史』(島田隆 1956)(2100625448)
- キーワード
-
- 千葉県-銚子市(チバケン-チョウシシ)
- 高崎藩(タカサキハン)
- 松平輝貞(マツダイラテルサダ)
- 間部詮房(マナベアキフサ)
- 新潟県-村上市(ニイガタケン-ムラカミシ)
- 福井県-鯖江市(フクイケン-サバエシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343914