レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年09月15日
- 登録日時
- 2022/01/13 12:10
- 更新日時
- 2023/03/31 18:06
- 管理番号
- 広県図2022025
- 質問
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解決
江戸時代(文政6年)の納経(御朱印)帳に書かれた芸州八幡別宮について知りたい。
- 回答
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参考資料1『安芸府中町史 第1巻』【H21.33/F51/1ア】
p.323-340 宗教をめぐる対立と農民
p.323-327 八幡社と惣社
p.324 「八幡別宮は、史料によって松崎別宮、松崎八幡宮、八幡宮などとも記されているが、(略)鎌倉時代以前から存在していたことが知られる。」
p.326 「江戸時代のいつの頃からか北の氏神(惣社)、南の氏神(八幡社)としての性格を有するようになっていた。」
p.335-340 南北氏子の対立と村分け問題
p.340 「惣社・八幡両社を合併して現在地に社殿を建て、古文献に伝わりながら所在不明になっていた「多家神社」として創立されたのは、(略)明治六年(一八七三)のことであった(略)」
p.340 「(注)多家神社の創設および昇格運動については第五章第一節(本巻三四六頁)を参照。」
p.346 多家神社の昇格運動
多家神社については次のとおりです。
参考資料2『広島縣神社誌』【H17/ケシン94ア】
p.279-313 安芸郡
p.280-282 府中町
p.281-282 多家神社
p.281 「安芸府中町宮の町三丁目一―一三(略)由緒(略)明治六年になって、八幡宮と総社を廃止し、たれその森(現在の社地)に広島城三の丸にあった稲荷社の社殿を移築して新たに一社を創建、明治七年、県社多家神社となった。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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1『安芸府中町史 第1巻』府中町史編修委員会/編集,広島県安芸郡府中町,1979【H21.33/F51/1ア】
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069195026-00 (p.323-340 宗教をめぐる対立と農民
p.346 多家神社の昇格運動) -
2『広島縣神社誌』広島県神社誌編纂委員会/編集,広島県神社庁,1994【H17/ケシン94ア】
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002430191-00 (p.281-282 多家神社)
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1『安芸府中町史 第1巻』府中町史編修委員会/編集,広島県安芸郡府中町,1979【H21.33/F51/1ア】
- キーワード
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- 多家神社
- 八幡別宮
- 広島
- 神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000310643