レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2013/10/19 11:16
- 更新日時
- 2013/10/24 18:11
- 管理番号
- 広県図20130007
- 質問
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解決
種田山頭火の「広島県牛田町牛尾酒造の前にて」(昭和14年頃)という写真がある。この牛尾酒造について知りたい。
- 回答
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戦前の商工名鑑や商工人名録の酒類醸造業の中に「広島牛田」の「牛尾」が掲載されているものがあった。又,創業年が明治29年と書いてあるものがあった。
『広島の酒造史』や『広島市水道七十年史』により,現在の東区牛田新町にあった井戸が,古くから「天水(あまず)の水」と呼ばれ名水として知られていたこと,又,大正3年6月には牛田村(牛田町)の牛尾某が,この名水で銘酒「鶴洗水」を造って売り出したことが分かった。
『牛田ニュース』61号(1986.5.1)には,元「牛尾酒造」の牛尾節夫さんが,父親が明治の終りから戦前まで「鶴洗水」の銘柄で,造酒屋を営んでいたと証言している。
- 回答プロセス
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1 戦前の広島県内の商工名鑑等を調査した。
『公認大日本商工録 分冊巻』 には,「牛尾信正 安芸郡牛田町」とあり,営業税,所得税の記載がある。
『大日本商工録 昭和5年版下巻』には,「牛尾巻太郎 広島牛田町」とあり,営業税,所得税の記載がある。
『広島県商工人名録』には,「牛尾巻太郎 同(広島市) 牛田町」とあり,「醸造」の項目に,「清酒 鶴洗水」とある。
又,電話番号のほか,創業年が「同(明治)29年と記載あり。
『広島県電話帳』大正末頃には,「牛尾巻太郎 醸造 牛田新山」と記載がある。
2 『広島の酒造史』には,近世の頃に「天津の郷の井」で醸した酒が藩主浅野宗恒に絶賛されたとあり,この井戸について,注4に次の記述がある。
「天津の郷の井 安芸郡新山村(現東区牛田新町)天水の小山付近にあった井戸で,この井戸に湧く水は,古くから「天水の水」と呼ばれ名水として知られた。『広島市水道七十年史』によると,大正三年には牛田村の酒造家がこの水で酒銘「鶴洗水」を醸したとある。」
3 『広島市水道七十年史』には,次の記述がある。
「大正3年6月には牛田村(牛田町)の牛尾某が,同じこの名泉水で銘酒「鶴洗水」を造って売り出している。(略)「鶴洗水」の酒銘は,往時,傷ついた大鶴が天水の出水(イツミ),すなわち湧水に舞い降りて,やがて数日後に傷をいやして飛び去ったのを見て,初めて霊水なることを知ったという鳥獣伝説に由来している。」
4 牛田地区の話題を集めて毎月刊行されている「牛田ニュース」を見ると,61号の「わが町紹介」のコーナーに,「鶴洗水(新町四丁目)の記事があった。
元「牛尾酒造」の牛尾節夫さんの談話が載っている。
「父が明治の終りから戦前まで「鶴洗水」の銘柄で,造酒屋を営んでいたが,その井戸を”御水(おみず)”と尊び大切にしていた」
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911)
- 食品工業 (588)
- 参考資料
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- 『公認大日本商工録 分冊巻 : 岡山県,広島県,山口県,徳島県,香川県,愛媛県,高知県』 (大日本商工会/編輯,大日本商工会,1924) (広島県 p.42)
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『大日本商工録 昭和5年版下巻』(大日本商工会/編纂,大日本商工会,1930)
(広島県 p.98) -
『広島県商工人名録』広島県産業奨励館/編,広島県出品協会,1935
(p.121) -
『広島県電話帳』大正末頃
(広島県市部版 p.い9) -
『広島の酒造史』(広島市郷土資料館/編集,広島市教育委員会,2002)
(p.13) - 『広島市水道七十年史』(広島市水道局/編,1972) (p.39~40)
- 「牛田ニュース」61号,牛田ニュース事務局,1986.5.1 (わが町紹介(52) 鶴洗水(新町四丁目))
- キーワード
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- 種田山頭火
- 牛尾酒造
- 牛田
- 天水の水
- 鶴洗水
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000139191