レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年01月25日
- 登録日時
- 2024/02/28 15:33
- 更新日時
- 2024/03/21 09:26
- 管理番号
- 京歴-717
- 質問
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解決
京都市下京区にある上徳寺の由緒を知りたい。
- 回答
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上徳寺は、慶長8年(1603)徳川家康により建立されたが、その他の由緒については(1)と(2)があった。
(1)上徳院と「泰誉院」に関係するもの。(両者は母娘関係)
『京都・山城寺院神社大事典』(資料①)
p.357 上徳寺
家康の娘「泰誉院」が、その生母上徳院の菩提を弔うため敷地を拡張して堂宇を整備し、寺名を上徳寺に改めたとある。
『全国寺院名鑑』(資料②)
京都府-52 上徳寺(世継地蔵)
元は融左大臣(源融)六条河原院の旧跡で、塩竈山雲光院と称す。
慶長8年徳川家康が創建。のち息女「泰誉院」の母である上徳院の菩提のために再建。
泰誉院と上徳院の墓があると書かれている。
『おこしやす下京 : 千年の大路小路に歴史が息吹く』(資料③)
p.6 上徳寺(世継地蔵)
家康の娘「泰誉院」と、その生母である上徳院の菩提を弔うために創建された寺院。
(2)阿茶局と「泰栄院」に関係するもの。(両者の関係は不明)
『新纂浄土宗大辞典』(資料④)
pp.774~775 上徳寺
塩竈山雲光院。慶長8年に徳川家康により創建。開基は阿茶の局、開山は叔父の伝誉とする。
墓地に家康の息女「泰栄院」の大宝篋院塔と阿茶の局の宝塔があると書かれている。
『京都』641号(資料⑤)
p.7 塩竈山上徳寺
慶長8年に徳川家康により創建され、開基が阿茶局、開山が伝誉蘇生上人であると記されている。
<上徳院と阿茶局は同一人物か>
以下の資料によると、どちらも徳川家康の妻だが同一人物ではない。
『徳川幕府事典』(資料⑥) pp.389-390「徳川将軍妻妾一覧」
『徳川歴代将軍事典』(資料⑦) pp.54-62
→上徳院という側室はおらず、阿茶局は法号は「雲光院」となっている。
『京都坊目誌』(『新修京都叢書, 第21巻』より)(資料⑧)
p.268 泰誉院は「徳川系譜に見えず」、上徳院は「名は於古知也 家康の妾なり」と書かれている。
- 回答プロセス
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寺院関係、京都の歴史関係の資料をブラウジング。
当館デジタルアーカイブで「上徳寺」を検索。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185)
- 参考資料
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- ①平凡社編『京都・山城寺院神社大事典』平凡社、1997 (当館請求記号:K1||185.916||Ky6||)
- ②全日本仏教会寺院名鑑刊行会編纂『全国寺院名鑑』全日本仏教会寺院名鑑刊行会、1969 (当館請求記号:||185.91||Z3||)
- ③おこしやす下京編集委員会 [編]『おこしやす下京 : 千年の大路小路に歴史が息吹く』おこしやす下京編集委員会、1999 (当館請求記号:K151||291.62||O53||)
- ④浄土宗大辞典編纂実行委員会編集『新纂浄土宗大辞典』浄土宗、2016 (当館請求記号:||188.6||J58||)
- ⑤白川書院編『京都』641号、白川書院、2004.12 (当館請求記号:||キヨウ||K)
- ⑥竹内誠編『徳川幕府事典』東京堂出版、2003 (当館請求記号:||210.503||To36||)
- ⑦大石学編『徳川歴代将軍事典』吉川弘文館、2013 (当館請求記号:||210.5||To36||)
- ⑧野間光辰編『新修京都叢書, 第21巻』臨川書店、1976 (当館請求記号:K0||291.62||Sh69||21)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000346686