レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010年08月26日
- 登録日時
- 2010/10/23 10:44
- 更新日時
- 2011/01/28 08:53
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2010-030
- 質問
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解決
徳川義直の正室春姫の霊廟が名古屋大須の万松寺にあったとされているが、寺の中のどこにあったのかを知りたい。
- 回答
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『尾張名陽図会』に万松寺の俯瞰図があり春姫(高原院)の霊廟と思われる建物の一部が描かれています。また、『万松寺の歴史』には“寺の西北に霊廟を建て遺骨を収めた”とあり、寺の西北にあったようです。
なお、万松寺にあった春姫の霊廟は大正3年に健中寺に移され、さらに昭和28年10月には東照宮の跡地(昭和20年5月14日の空襲により焼失)に移築されて現在は東照宮の本殿となっています。
- 回答プロセス
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(1)まず『名古屋市史人物編』を調べてみると、「春姫」について“・・・享年三十六。遺骸は木曽路を経て名古屋に送り、萬松寺に葬りて法號を高原院大獄宗椿と曰ふ。慶安四年、霊屋を建つ。”とあり、万松寺に葬られたことはわかりましたが、霊廟が寺のどの辺りに建てられたかは書かれていませんでした。
(2)『万松寺の歴史』には「故亜相源敬公大夫人霊廟」についての記載があり、“寺の西北に霊廟を建て、遺骨を収めた”とありました。また、インターネットで万松寺のホームページを確認したところ、同様の文章が出ていましたが、これ以上の細かい場所についての記載はありませんでした。
(3)OPACで「春姫」と検索してみると『春姫さま』がありました。同書には霊廟についての記述のほか、万松寺の俯瞰図(『尾張名所図会』)が掲載されていました。そこで、『日本名所風俗図会 6』を調べてみると、『尾張名所図会』や『尾張名陽図会』に万松寺の俯瞰図があることわかり、『尾張名陽図会』には春姫の霊廟と思われる建物の一部が描かれていました。
(4)その他、『徳川義直』・『徳川義直と文化サロン』などの徳川義直(敬公)関係の資料や『徳川将軍家墓碑総覧』・『考古学調査ハンドブック 4 近世大名墓所要覧』なども調べてみましたが、春姫の霊廟については書かれていませんでした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 『名古屋市史人物編 上巻 復刻版』 名古屋市/編 国書刊行会 1981年 p.60
- 『万松寺の歴史 6版』 伊藤治雄 2003年 p.13-14
- http://www.banshoji.or.jp/about/shodo.html#reibyo [last access 2010/11/05]
- 『春姫さま』 藤沢茂弘/著 ブックショップマイタウン 2007年 p.45-48
- 『日本名所風俗図会 6』 角川書店 1984年 p.82,627,646,769 (『尾張名所図会』や『尾張名陽図会』などの索引があります。)
- 『尾張名陽図会 下』 高力猿猴庵/著 ブックショップマイタウン 2006年 p.110-111
- 『徳川義直 尾張藩初代藩主の生涯』 名古屋城管理事務所/編集 名古屋城特別展開催委員会 2000年 p.52-53
- 『徳川義直と文化サロン』 徳川美術館/編集 徳川美術館 2000年 p.218-228
- 『徳川将軍家墓碑総覧』 秋元茂陽/著 パレード 2008年 (「寺院別墓碑・合祀者一覧」などがあります。)
- 『考古調査ハンドブック 4 近世大名墓所要覧』 ニューサイエンス社 2010年 p.107-116,218-219,266 (「尾張藩主徳川家墓所」の解説や「近世大名家墓所地名表・主要文献目録」などがあります。)
- 『名古屋の史跡と文化財 新訂版 第3版』 名古屋市教育委員会/編 名古屋市教育委員会 1998年 p.127-128
- http://名古屋東照宮.com/yuisho.html [last access 2010/11/05]
- キーワード
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- 春姫
- 高原院
- 徳川義直
- 萬松寺(万松寺)
- 霊廟
- 霊屋
- 東照宮
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000072690