レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年12月05日
- 登録日時
- 2014/12/27 19:21
- 更新日時
- 2024/01/19 14:18
- 管理番号
- 横浜市中央2409
- 質問
-
解決
関東大震災後の横浜で、焼け跡に建てられたバラック村の中に
「関西村」と呼ばれたものがあった。この関西村の正確な場所が知りたい。
また、それに関する詳しい資料があれば知りたい。
- 回答
-
関西村と呼ばれたバラックの場所は
現在の中村小学校付近(南区中村町 4-269-1)
であるということが推測できます。
調査経過は次のとおりです。
1 『横浜の関東大震災』今井清一/著 有隣堂 2007年
p.264~ 関西府連合のバラック・病院についての記載があり、
中村町衛生試験所跡の敷地に連合仮病院を設置、隣接地に関西村と呼ばれた
バラックが建てられたことが書かれています。
2 『横浜都市計画図』 復興局整地部施業課 1928年
こちらの資料によると、 「衛生試験場」「揮發物貯庫」が中村川を挟み十全病院の
向かい、道場橋付近にあることがわかります。
*『横浜都市計画図』は次のWebサイトでもご覧いただけます。
「横浜市立図書館デジタルアーカイブ 都市横浜の記憶」
https://archive.lib.city.yokohama.lg.jp/museweb/
「横浜都市計画図」で検索してご覧ください。
3 現在の地図で道場橋付近を確認すると中村小学校があります。
(十全病院の跡は市大病院(総合医療センター)になっています)
4 『関東地方震災救援誌』 大阪府/編 大阪府 1924年
大阪府の視点で関東大震災のことが書かれている資料です。
p.447~ 関西連合がバラックを寄贈した詳細がわかります。
p.456に寄贈したバラックの一覧がありますが、該当するバラックは「中林町揮發
倉庫跡」となっており、この資料で住所までは特定できませんでした。
5 『横浜の本と文化 横浜市中央図書館開館記念誌』
横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会/編 横浜市中央図書館 1994
横浜市図書館の仮設が中村町揮発物貯庫跡にあったと記載があり、
関西村バラックの一部に図書館の仮設があったことも確認できます。
(URL最終確認日:2023年12月26日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210 8版)
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000165519