レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016年01月13日
- 登録日時
- 2016/03/20 10:05
- 更新日時
- 2016/03/20 10:14
- 管理番号
- 千県西-2016-7
- 質問
-
解決
柳田国男が岡田武松と一緒に筑波山へ登ったことがあるらしいが、2人の関係について記述がある資料を見たい。
- 回答
-
柳田国男(旧姓:松岡)の兄が布佐(現・我孫子市)に移住し開業した病院と岡田武松の家が近かったことがきっかけで出会い、共に在籍していた第一高等学校・東京帝国大学時代には夏休みには必ず会うほど、交流を深めていたようである。筑波山に一緒に登ったこと等の交流の様子は柳田国男の【資料1】所収の「故郷七十年」に記述されている。
※岡田武松は千葉県東葛飾郡布佐町(現・我孫子市)生まれの気象学者。東京帝国大学物理学科卒業後、中央気象台に勤務。日本の気象観測の近代化に尽力し、1949年に文化勲章受賞。
以下の資料、情報を提供。
(1)柳田国男が岡田武松について書いた資料。
(2)柳田国男と岡田武松との関係について記述のある資料。
(3)柳田国男と岡田武松の妻・海老原みつとの関係についても記述のある資料。
(1)柳田国男が岡田武松について書いた資料。
【資料1】『定本柳田国男集 別巻3』(柳田国男著 筑摩書房 1988)
p1-421「故郷七十年」
p163-164「岡田武松君との初旅」
「母が生きていたので、旅費をねだって三円もらった。岡田君も、それくらいもって行ったのであろう。もちろん汽車はまだなかったから、布佐から歩き出し、利根川を渡しで超えて、筑波山に登って山上で泊まった。」
「布佐のごく近いところに偶然にも播磨屋という古着商があった。その家が後に天文学者になった岡田武松博士の生家なのである。」
p165-167「関東の播磨人」
「布佐の播磨屋の息子であった岡田武松君は、文科系統の学科もよく出来た。家に行ってみると~」
「そのうち、布川で長兄一家が厄介になっていた家主の小川さんの孫娘を細君に貰ったので、かえってこちらの方できまりが悪くなって、あまり会わなくなった」
【資料2】『定本柳田国男集 第2巻』(柳田国男著 筑摩書房 1988)
p477-478「附記(旅行略暦)」
「初めて旅らしい旅をしたのは、(中略)同行者は今の海洋気象台長の岡田武松くんであった。」
【資料3】『定本柳田国男集 第20巻』(柳田国男著 筑摩書房 1988)
p237「風位考」
「自分は旧友岡田武松君の風学を知り、又気象学の本来の使命が、到底他の文化諸学の是までのやうに、国土を~」という記述あり。
【資料4】『定本柳田国男集 第31巻』(柳田国男著 筑摩書房 1988)
p195-200「新式占法伝授」
「此兒と母を連れて中央気象台の岡田博士を訪ね~」
「この岡田博士が一九の年、まだ我々が武さんと呼んで居た頃の冬の晩に~」
【資料5】『現代日本文学全集28 柳田国男集』(柳田国男著 筑摩書房 1975)
p399‐402「学生と旅行道」
「岡田武松君と二人で、十日に近く常陸をあるいた時にも、母から私の貰って出たのは三円であった。」
【資料6】『風位考資料』(柳田国男編集 明世堂 1942)
※岡田武松が序文を書いている。『定本柳田国男集』ではこの序文は未収録。
「柳田さんならば老生青年時代からの友人であって、常々敬服している方であり、その方の御祝いの記念出版なら、頼まれなくとも何か書かして戴く可きであるから、二つ返事で受合ったものの~」
(2)柳田国男と岡田武松との関係について記述のある資料。
【資料7】『岡田武松伝』(須田滝雄著 岩波書店 1968)
p9‐13にかけて、「故郷七十年」を引用しながら2人の関係について記述している。
「1期下には柳田国男がおり親しい間柄であった。」
【資料8】『柳田国男・主題としての「日本」』(柳田国男研究会編集 梟社 2009)
p227‐246 「岡田武松と柳田国男」 章末に参考文献あり
【資料9】『柳田国男と利根川』(守屋健輔著 崙書房 1975)
p59‐64 「第4章‐2 先生をめぐる人々 岡田武松」
【資料10】『柳田国男と民俗の旅』(松本三喜夫著 吉川弘文館 1992)
p179‐ 三章「柳田国男と今昔の人びと」のなかに「岡田武松と柳田国男」の項目あり。
【資料11】『柳田国男事典』(野村純一ほか編集 勉誠出版 1998)
巻末の索引「岡田武松」あり。
【資料12】『東葛観光歴史事典』(流山市立博物館友の会事務局編集 1997)
p172 我孫子市周辺地図。柳田国男の兄の病院(松岡医院)と岡田武松宅跡が掲載されている。
(3)柳田国男と岡田武松の妻・海老原みつとの関係についても記述のある資料。
【資料13】『柳田国男・ジュネーブ以後』(柳田国男研究会編著 三一書房 1996)
p118 「田山花袋記念館を訪れた井出孫六は、そこに所蔵する花袋宛て書簡のなかから、柳田が恋した少女の名は「いね子」であるとつきとめた。(「柳田国男をあるく13」『書斎の窓』1990年1-2月号)しかし、もう一方で、岡田武松と結婚した海老原みつに対しての国男の思いも残り、結論はだしていない。(中略)
岩本由輝は、『柳田民俗学と天皇制』(1992年12月・吉川弘文館)のなかで、いね子との恋が終わった後に出会った海老原みつのことを思い出したのではないかと論じている。
岡田公二は「松岡国男の恋」(『新潮』1995年2月)で、海老原みつの存在は否定できないとしながらも、(中略)「国男のいね子に対する恋心が少しも変わっていないことがわかる」と論証している。」
【資料14】『柳田国男を歩く』(井出六孫著 岩波書店 2002)
【資料15】『柳田民俗学と天皇制』(岩本由輝著 吉川弘文館 1992)
【資料16】『殺された詩人 柳田国男と恋と学問』(岡谷公二著 新潮社 1996)
※「松岡国男の恋」収録
- 回答プロセス
-
・『定本柳田國男集 別巻5巻 総索引』(定本柳田国男集編纂委員会編集 筑摩書房 1988)、『柳田国男事典』【資料11】で索引の「岡田武松」を確認。
・『岡田武松伝』【資料7】の文中、『柳田国男・主題としての「日本」』【資料8】の章末の注釈に挙げられている資料を確認。
・千葉県立図書館蔵書検索システム 検索項目〈全項目〉で「柳田国男 岡田武松」と検索。
・リサーチナビ〈本の内容情報からさがす〉(http://rnavi.ndl.go.jp/advanced_search/)、Google ブックス(https://books.google.co.jp/)で「岡田武松 柳田国男」等で検索。
(インターネットの最終アクセス日:2016年1月13日)
- 事前調査事項
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 地理.地誌.紀行 (290 9版)
- 風俗習慣.民俗学.民族学 (380 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】『定本柳田国男集 別巻3』(柳田国男著 筑摩書房 1988)|1100734520;
- 【資料2】『定本柳田国男集 第2巻』(柳田国男著 筑摩書房 1988)|1100734208;
- 【資料3】『定本柳田国男集 第20巻』(柳田国男著 筑摩書房 1988)|1100734389;
- 【資料4】『定本柳田国男集 第31巻』(柳田国男著 筑摩書房 1988)|1100734496;
- 【資料5】『現代日本文学全集28 柳田国男集』(柳田国男著 筑摩書房 1975) |9100765460;
-
【資料6】『風位考資料』(柳田国男 明世堂 1942);千葉県立図書館未所蔵
国立国会図書館デジタルコレクション図書館向けデジタル化資料送信サービスで閲覧可能。
図書館向けデジタル化資料送信サービスについて:http://dl.ndl.go.jp/ja/about_soshin.html - 【資料7】『岡田武松伝』(須田滝雄著 岩波書店 1968)|9102035800;
- 【資料8】『柳田国男・主題としての「日本」』(柳田国男研究会編集 梟社 2009) |2102272347;
- 【資料9】『柳田国男と利根川』(守屋健輔著 崙書房 1975) |9200110087;
- 【資料10】『柳田国男と民俗の旅』(松本三喜夫著 吉川弘文館 1992) |9101574515;
- 【資料11】『柳田国男事典』(野村純一ほか編集 勉誠出版 1998)|1101614438;
- 【資料12】『東葛観光歴史事典』(流山市立博物館友の会事務局編集 1997)|1101581570;
- 【資料13】『柳田国男・ジュネーブ以後』(柳田国男研究会編著 三一書房 1996) |1101492110;
- 【資料14】『柳田国男を歩く』(井出六孫著 岩波書店 2002) |2101537054;
- 【資料15】『柳田民俗学と天皇制』(岩本由輝著 吉川弘文館 1992) |9101574391;
- 【資料16】『殺された詩人 柳田国男と恋と学問』(岡谷公二著 新潮社 1996) |0105054562;
- キーワード
-
- 柳田国男
- 岡田武松
- 海老原みつ
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000189653