レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月11日
- 登録日時
- 2023/02/11 12:54
- 更新日時
- 2024/03/31 15:53
- 管理番号
- 210
- 質問
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解決
尼崎地域と源氏の関わりについて、どのような史実や伝説があるのか知りたい。
- 回答
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尼崎地域から見て猪名川の上流にあたる多田(現川西市)が、摂津源氏(多田源氏)発祥の地です。尼崎地域と源氏は、歴史的にさまざまな関わりがありました。おもなものとして、次のようなことが記録され、あるいは伝えられています。
1 史実性があると考えられる事象
・源実国(さねくに)による生島荘(いくしまのしょう)開発
平安中期の武人で摂津源氏(多田源氏)の一族である源実国が、現尼崎市域にあった荘園「生島荘」を開発し、子孫が代々相伝しました。近世初頭に生島村が上之島・栗山・大西・三反田という4か村にわかれるので、これらの村の付近が生島荘であったと考えられます。また、生島荘の富松郷が近世以降の東富松・西富松に、浜郷が近世以降の尾浜になったものと考えられます。
・源為義による大物(だいもつ)押領の企て
久安年間(1145~1151年)に、河内源氏の統領を称する源為義が、長洲御厨(ながすのみくりや)内の大物の押領を企てたことが、鎌倉時代初期の「大物浜長洲浜請文」(真福寺文書)に記されています。
・源平争乱期の河尻
木曽義仲勢が京に進軍した寿永2年(1183)7月頃、摂津源氏の多田行綱や太田太郎頼助らが河尻(神崎川河口付近)で船を襲い、平家の粮米を奪ったことが、九条兼実の日記『玉葉』や吉田経房の日記『吉記』に記されています。
・源義経の大物浦遭難
文治元年(1185)10月、義経は叔父の源行家とともに頼朝から離反し、11月3日には西国での再起を期して京を去ります。同日、河尻辺(神崎川河口付近)で摂津源氏(多田源氏)の太田頼基、多田行綱、豊島冠者(てしまかじゃ)らと交戦。その後大物に至り、5日の夜に船出するも嵐に会い難破、和泉浦を指して逃亡したと伝えられます。
大物浦での難船が、能楽「船弁慶」のモチーフとなりました。
2 伝説
・久々知須佐男神社の創建と矢文石
久々知須佐男神社は、摂津源氏(多田源氏)の祖である源満仲の勧請により建立されたと伝えられています。境内には、満仲が足をかけ矢文を放ったという矢文石があります。(出典:『小田村勢』)
・破風のない家
平安中期の摂津源氏(多田源氏)統領・源頼光の家来で、四天王の1人である渡辺綱(わたなべのつな)は、頼光とともに大江山の鬼・酒呑童子を退治したエピソードで知られています。この綱の家が常吉または武庫庄にあり、平安京の羅生門で切り落とした鬼(茨木童子と伝えるものもある)の右腕を持ち帰ったところ、叔母に化けた鬼が右腕を取り返しに来る伝説があります。鬼が天井に駆け上がり、破風(切妻屋根の端の三角の部分)を破って逃げていったので、その後常吉や武庫庄の家は破風を作らなくなったと伝えられています。(出典:『平家物語』『摂陽郡談』等)
・茨木童子
富松で生まれた子が茨木(現茨木市)に捨てられ、大江山の酒呑童子に拾われて茨木童子という鬼になったという伝説があります。(出典:『摂陽郡談』『立花志稿』)
・七松村、八幡宮と源頼信
源満仲の三男で、河内源氏の祖となる源頼信が、寛仁3年(1019)の刀伊(とい)の入寇(女真族の九州北部来襲)を鎮圧した後、田地を寄進して八幡宮を勧請。松1本のところに6本移植して七本松または七ツ松八幡宮と称するようになり、村名も七本松または七ツ松になったと伝えられます。(出典:『立花志稿』)
・名月姫
尾浜八幡神社にある宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、尾浜の豪族三松国春の娘・名月姫の墓と伝えられています。名月姫が能勢の豪族・能勢家包(いえかね)にさらわれ、各地を行脚した父国春が平清盛による大輪田泊(おおわだのとまり)修築の人柱にされかけたという伝説です。能勢氏は多田源氏の系譜を引く豪族で、大阪府能勢町柏原にも名月姫の墓と伝えられる宝篋印塔があり、こちらは平清盛の愛人にされることをきらった姫が自害する話が伝えられています。(出典:『摂陽郡談』『立花志稿』等)
・義経と大物をめぐる伝説、能楽「船弁慶」
義経が船出し難船した大物には、義経・弁慶らの隠れ家跡、愛妾の静御前との別れを惜しんだ橋跡、同じく静が化粧水に使った井戸があったことなどが伝えられています。(出典:『摂陽郡談』『尼崎志』等)
「船弁慶」は、大物浦での難船と平知盛の幽霊の話を結びつける平家物語のエピソードなどをもとに、観世信光が室町時代に創作した能楽です。
こういったそれぞれの伝説が成立した背景として、1に紹介した史実や記録との関連性が考えられます。
こういった史実や伝説をまとめて紹介する文献として、次の2種類があります。
尼崎郷土史研究会会報『みちしるべ』第33・34号 尼崎の伝説特集号1・2
大江篤編『尼崎百物語』
3 関連レファレンス事例
尼崎市域の武庫地区に伝わる「破風(はふ)のない家」の伝説について知りたい
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000348403
- 回答プロセス
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尼崎地域と源氏の関わりに関するさまざまな史実や伝説をまとめて紹介する文献
◆尼崎郷土史研究会会報『みちしるべ』第33・34号 尼崎の伝説特集号1・2
2006年3月、2007年3月
◆大江篤編『尼崎百物語』神戸新聞総合出版センター 2016年
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 伝説.民話[昔話] (388 10版)
- 参考資料
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- 尼崎郷土史研究会会報『みちしるべ』第33・34号 尼崎の伝説特集号1・2 2006年3月、2007年3月 (逐次刊行物)
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大江篤編 , 大江, 篤 , のじぎく文庫. 尼崎百物語. 神戸新聞総合出版センター, 2016.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I005946055-00 , ISBN 9784343008879 (当館請求記号 219/A/オ)
- キーワード
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- 源氏
- 多田源氏
- 摂津源氏
- 尼崎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000328821