レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年10月21日
- 登録日時
- 2024/01/13 15:43
- 更新日時
- 2024/02/15 15:06
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2023-009
- 質問
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解決
名古屋市中川区の松重町にあった、庭石屋萬清および萬屋清吉のことが知りたい。
- 回答
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下記資料に載っていました。
(1)『名古屋市史』第3巻(政治編第2)p.375:「慶応四年辰三月訂御用達名前帳」に「萬屋清吉」の名前があります。
(2)『教育愛知』1978年3月号(第25巻 第12号 通巻298)p.58-61:庭石屋萬清九代目・中川清吉さんのインタビューが載っています。
(3)『堀川物語 名古屋城とともに四百年』p.179,182:庭石屋萬清(本文では「萬清園」と表記)の位置と、九代目・中川清吉さんの妻志づ子さんのお話が載っています。
(4)『堀川 名古屋人をささえた川』p.162-167:『尾張名所図会』に描かれたお店が「庭石屋萬清」ではないかという話や、江戸時代に尾張藩士「寺尾家」のあった場所に移住したのではないかという話が載っています。九代目・中川清吉さんのインタビューも載っています。
(5)中川区の住宅地図:平成4(1992)年までは日置橋の西側に「萬清園」が載っていることが確認できました。
- 回答プロセス
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国立国会図書館デジタルコレクションでヒットした資料およびその資料に載っていた参考文献などを集めました。以下、最終確認日はすべて2024年1月13日です。
(1)国立国会図書館デジタルコレクション(218コマ目):キーワード「萬屋清吉」でヒットしました(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/950893/1/218)。
(2)国立国会図書館デジタルコレクション(33コマ目):キーワード「庭石屋萬清」でヒットしました(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/6034372/1/33)。
(3)国立国会図書館デジタルコレクション(93、95コマ目):キーワード「庭石屋萬清」でヒットしました(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9540013/1/1)。
(4)(2)で紹介されていました。
『尾張名所図会 前編2 愛智部』:「日置橋」の項で、言及されているお店が見られます(ただし商標は間違って描かれているようです)。国立国会図書館デジタルコレクション(30コマ目)で見られます(https://dl.ndl.go.jp/pid/764881/1/30)。
「元文三年名古屋図」(『名古屋市史 地図』収録):言及されていた「寺尾家」の位置がわかります(日置橋の西側)。国立国会図書館デジタルコレクション(22コマ目)で見られます(https://dl.ndl.go.jp/pid/950888/1/22)。
なお残念ながら、当館で作成しているパスファインダー「江戸時代の尾張の人物を調べる」(https://www.library.city.nagoya.jp/img/reference/0101_1.pdf)で紹介している資料の中には記述は見つかりませんでした。
- 事前調査事項
- NDC
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- 造園 (629 9版)
- 個人伝記 (289 9版)
- 参考資料
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- 名古屋市/編. 名古屋市史 [第3巻](政治編 第2). 愛知県郷土資料刊行会, 1980.
- 教育愛知 第25巻第12号(1978年3月号). 愛知県教育振興会.
- 中日新聞社本社社会部/編. 堀川物語 名古屋城とともに四百年. 中日新聞本社, 1986. , ISBN 4-8062-0171-5
- 大野一英/編著. 堀川 名古屋人をささえた川. 近藤国雄, 1972.
- キーワード
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- 伝記-名古屋
- 会社-名古屋
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344593