レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年05月01日
- 登録日時
- 2023/12/08 13:31
- 更新日時
- 2023/12/08 13:31
- 管理番号
- 中央20230501-02
- 質問
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解決
津本陽/著『龍馬の油断』(文藝春秋 2013)p.55に「江戸芝二本榎にあった高野山出張所」とあるが、この出張所はどんなものか。
- 回答
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『市町村区分による全国寺院大鑑 上巻』(法蔵館 1991)p.441には、「高野山東京別院 高野山真言宗 港区高輪3-15-18」とあり、現在も東京に高野山の別院が存在することがわかる。
『江戸の神社・お寺を歩く ヴィジュアル版 城西編』(黒田涼/[著] 祥伝社 2012)p.62「高野山東京別院」には、「江戸時代から高野山の出張所でした。」と記載されている。
『江戸東京名所事典』(笠間書院 2020)には、地図p.238「高野山東京別院」に「高野結び大師と呼ばれる高野山宿寺」、解説p.284「高野山宿寺」に「江戸時代は古義真言宗の触頭(ふらがしら)(寺社奉行の命令を配下の寺院に伝達し、また配下の寺院からの訴願を奉行に伝える役割を担った寺)の役を担った。」とあり、高野山の出張所は、「高野山宿寺」とも言われていたことがわかる。『悠悠逍遙江戸名所』(白石つとむ/著 小学館 1995)p.299には、「高野寺(二本榎正覚院)」「高野山学侶派の在番所なり 世に高野寺といふ」、解説に「二本榎の通りに入る(中略)正覚院は、高野山学侶方の江戸在番所で、現在は高野山東京別院と呼ばれている。」とあり、「高野寺」「江戸在番所」という表記もされている。
『高野山 その歴史と文化』(松長有慶[ほか]/著 法蔵館 1984)p.246-250には、江戸幕府と高野山の関係についての記述があり、p.247には「老分二人宛を交替に江戸在番役に、行人方も新たに組頭六名を選び、二名宛在番を命じ、その統制を強めた。」とある。高野山東京別院のWebサイト(https://www.musubidaishi.jp/history/(12/7確認)でも、沿革について触れている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 各宗 (188 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000343157