レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/02/10
- 登録日時
- 2011/01/17 02:01
- 更新日時
- 2011/01/18 16:41
- 管理番号
- 6000002741
- 質問
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解決
七五三の起源について知りたい。
- 回答
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当館所蔵資料より以下を紹介。
資料1:「今日七五三と呼ばれる儀礼の原型が成立したのは、江戸時代のことといわれ、当時は武家や有力商人などの間で行われており、都市の庶民など一般に広まったのは、明治期にはいってからのことといわれている」とあり、七五三の歴史や地方の特色などの記述がある。
資料2:武家の家庭での七五三の祝いの様子が絵を交えて解説されている。
<201/11/5追記>
資料3:当時の書物や川柳などを例に、七五三の儀式の内容やその変遷の記述がある。
資料4:「七五三の祝いをなぜ11月15日にするかといえば、この日が旧暦の二八宿中の鬼宿といわれる最吉日であるからといい、また俗説では徳川綱吉の子息徳松がこの日に祝いをしたからともいう」との記述あり。
資料5:七五三の起源は、「武家社会では男児が五歳になると「袴儀」、女児は七歳になると「帯とき」と称して吉日を選んでお祝いしたことにはじまるといい、「七五三」ということばが生まれたのは、明治以降で、商業政策上から盛大になったもの」とあり、宮まいりが11月15日となった理由として「この日が家々の家業に関係の深い神々を送る霜月祭に相当する日であり、ほかの祭礼とは関係なく、とくに選ばれたものと思われる」との記述あり。
- 回答プロセス
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通過儀礼(385)、年中行事(386)、日本史・江戸時代(210.5)の書架を直接あたり調査。
<参考>〔Wikipedia:七五三〕http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E4%BA%94%E4%B8%89(最終確認2010/11/6)より、
七五三・・・7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う日本の年中行事。天和元年(1681年)11月15日、館林城主、徳川徳松の健康を祈って始まったとされる説が有力。
- 事前調査事項
- NDC
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- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385 8版)
- 年中行事.祭礼 (386 8版)
- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 人生儀礼事典,倉石 あつ子/編,小学館,2000.4, (2000、p62~66「七五三」 【資料1】)
- 復元江戸生活図鑑,笹間 良彦/著,柏書房,1995.3, (1995、p102「武家の年中行事11月」 【資料2】)
- 江戸の庶民生活・行事事典,渡辺 信一郎/著,東京堂出版,2000.7, (2000、p220~222「七五三の祝」 ※貸出禁止資料 【資料3】)
- 日本大百科全書,10,小学館,1986, (1986、p849「七五三」 ※貸出禁止資料 【資料4】)
- 日本なんでもはじめ,泉 欣七郎/共編,ナンバーワン,1985.3, (1985、p179「七五三」 【資料5】)
- キーワード
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- 七五三(シチゴサン)
- 通過儀礼(ツウカギレイ)
- 年中行事(ネンチュウギョウジ)
- 髪置(カミオキ)
- 袴着(ハカマギ)
- 帯解(オビトキ)
- 紐落(ヒモオトシ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000076688