レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年06月21日
- 登録日時
- 2020/03/06 16:59
- 更新日時
- 2021/11/15 10:56
- 管理番号
- 2019-011
- 質問
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解決
1)八王子分監や米沢分監が女子受刑者の集禁をやめた時期等がわかる資料があれば教えてほしい。
2)「女囚特別監」,「女特別監」,「女監」などさまざま用いられるが,正式な用語がわかる資料があれば教えてほしい。
3)「宇都宮監獄栃木分監」が「宇都宮刑務所栃木支所」に改称されたのは判明しているが,その後「宇都宮刑務所栃木刑務支所」に改称されたのかが不明のため,そのあたりの事情がわかる資料があれば教えてほしい。
- 回答
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1)『刑務所総覧 各刑務所建物配置図(昭和7年)』の施設概要の個所に記載がある。
八王子は大正12年の関東大震災の復旧工事のため,女子受刑者を市谷刑務所と栃木支所に移し,大正15年に完成した際に拘禁区分が変更になったとされている。
米沢は大正13年に山形刑務所米沢出張所と改められ,刑事被告人のみ収容することとなったとされている。
2)明治22年改正監獄則では,第15条に「...監獄ハ男監女監ノ別ヲ厳隔スヘシ」とある。
この時期は,まだ一つの監獄内に男性と女性が場所を分けて収容されており,男性を収容している場所を男監,女性を収容している場所を女監としていた。
『日本近世行刑史稿』(下)に「幼年監、女監等の特設」という項目がある。この項を見ると,欧米の影響を受けた個別処遇上の要求に基づいて,幼年者と懲治人だけを収容した川越をはじめとして,女性だけを収容する八王子など,特定の囚人だけを収容する監獄を監獄法制定以前は特別監と言っていたようである。
明治41年制定の監獄法では,第3条で「監獄ニ男監及ヒ女監ヲ設ケ之ヲ分隔ス」とある。
明治45年に刊行された小河滋次郎著『監獄法講義』は,明治41年監獄法の解説書だが,第3条の解説個所には栃木・八王子・米沢のほかに島原・岡山などの分監も女監に指定されたと書かれている。そして,この独立女監獄を設置するという方針が明治41年の監獄法により一層確立されるという趣旨の記述がある。
以上の資料から,明治41年監獄法制定までは,女性が監獄に収容されている区画を女監と呼び,明治30年後半から女性だけを収容する監獄ができたときに,女囚を収容する特別監と呼び,明治41年以降は,女性だけを収容する監獄を女監と呼んでいたと考えられる。
なお,『監獄協会雑誌』19巻9号(明治39年)「未成年犯罪者と特別監」の記事中に,「所謂特別監」という表現があるところから,特別監は法律で規定された名称ではないようである。
3)『刑務所総覧 各刑務所建物配置図(昭和7年現在)』の施設概要に記載あり。
明治36年4月1日宇都宮監獄栃木分監 → 大正11年10月宇都宮刑務所栃木支所 → 昭和4年12月栃木刑務支所
- 回答プロセス
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女監・特別監等については,法令をみても不明だったため,326.5の矯正分野の書棚で年代が近そうな図書を探し,小河『監獄法講義』に行き当たった。その後,「改正監獄則注釈」(326.52)を読んで,直接回答になる記述はないものの理解を深めた後,『日本近世行刑史稿』を再度読み返して,回答できる理解にたどりついた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 刑法.刑事法 (326)
- 日本史 (210)
- 参考資料
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- 刑務所総覧 各刑務所建物配置図(昭和7年現在). 司法省.
- 重松一義著. 日本刑罰史年表. 1972.
- 明治22年改正監獄則.
- 小河滋次郎著. 監獄法講義. 1908.
- 日本近世行刑史稿(下).
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未成年犯罪者と特別監. 1906. 監獄協会雑誌 19巻9号
https://www.jca-library.jp/kangokukyoukaizassi/PDF/vol19/19(9).pdf
- キーワード
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- 監獄則
- 監獄法
- 女監
- 女子受刑者
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 言葉
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000275445