レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/03/01
- 登録日時
- 2019/03/27 00:30
- 更新日時
- 2019/04/06 00:30
- 管理番号
- 6001037460
- 質問
-
未解決
楠木正行の墓について書かれた資料を探している。
- 回答
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楠木正行の墓についての記述があった資料をお知らせします。
・『ひらおか 3』(河内郷土研究会 1958)
p.27-30に吉水順教「小楠公と四条縄手」が掲載されており、以下の記述があります。
「正行の墓は、現在三個所にその所在が知られている。(中略)第一に四条畷神社の西方雁屋の庄田にある墓(中略)次に枚岡市[現・東大阪市]六万寺町の往生院(近鉄瓢箪山駅の東南ニ粁)にある正行の墓(中略)」とあり、3つ目の墓は京都の宝篋院(ほうきょういん)にある、と記載されています(p.27)。
・『河内四条史 第1冊 本編』(四条史編さん委員会/編集 四条史編さん委員会 1981.1)
現在の東大阪市にある四条地区の歴史をまとめた資料です。
「第3章 中世の四条 第2節 南北朝時代」の「4 四条縄手の戦」の節に「楠木正行の墓」の項があり(p.238-244)、次の記述があります。
「楠木正行の墓として世に知られ、また伝えられている場所は私の知る限り三カ所がある。その一つは、正行が戦死した場所にほぼ比定される旧讃良郡雁屋村(現在の四條畷市雁屋)にある楠木正行の墓で、つとに大阪府の史跡に指定されている。」(p.238)
「さて、二つ目は、わが四条地区に近い六万寺町往生院境内に所在する楠木正行墓である。昭和34年、枚岡市文化財保護規則によって第1号の史跡に指定され、現在は東大阪市文化財保護条例による指定史跡である。」(p.239)
「楠木正行の墓は、さらにもう1カ所、京都市右京区嵯峨中院町の宝篋院に存在している。」(p.241)
・『大阪墓碑人物事典』(近松誉文/著 東方出版 1995.11)
楠木正行の墓として、京都の宝篋院を除く次の2項目が掲載されています。
p.226-227「[四条畷市]雁屋南町」に「楠木正行」の項があり、「墓碑『贈従三位楠正行朝臣之墓』明治18年建立。(後略)」とあります。
p.236-237「往生院六万寺 [東大阪市]六万寺町」の項があり、「供養塔 五輪塔(覆堂のなか)」との記述があります。
・『東大阪市の歴史と文化財 わが街再発見』(東大阪市教育委員会 2003.3)
p.185に「往生院六万寺」の項があり、境内の楠木正行墓が東大阪市の文化財に指定されているとの記述があります(p.186)。
〔事例作成日:2019年3月1日〕
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- ひらおか 河内郷土研究会 1-13号
- 河内四条史 第1冊 四条史編さん委員会∥編集 四条史編さん委員会 1981.10
- 大阪墓碑人物事典 近松/誉文∥著 東方出版 1995.11
- 東大阪市の歴史と文化財 改訂版 東大阪市教育委員会 2003.3
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000254006