レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/01/31
- 登録日時
- 2021/03/20 00:30
- 更新日時
- 2021/03/20 00:30
- 管理番号
- 6001048140
- 質問
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解決
楠木正成が朝敵になったという記録があるか。
また後に、赦免されたと聞くが、その記録はあるか。
- 回答
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(1)楠木正成が朝敵になったという記録について
「楠木正成を朝敵とする」と明記した史料はありませんでした。
・『足利尊氏文書の研究 1 研究篇』(小松茂美/著 旺文社 1997.9)
には「両朝合一後の室町時代には、実質的には南朝の系統は消滅し、北朝の朝廷が存在したので、北朝を正統とした。そして南朝を「偽朝」(初称は『園太暦』文和二年〈一三五三〉六月二十七日条)と呼び、南朝方の武将を、いずれも逆賊とみなす風潮が起こった」(p.8)と書かれています。
・『園太暦 巻4』([洞院公賢/著] 岩橋小弥太/[ほか]校訂 続群書類従完成会 1971)
「去年偽朝践祚之時(後略)」(p.313)と記載されています。
以下の2冊の資料は両方とも『三光院故実清譚(三内口訣経内記)』の「於南朝昇進之人一切不用之候、然處此親房卿許、北畠准后天下称之候」を引いて(前者p.68、後者p.99)、「南北合一以後も、朝廷幕府が共に南朝諸臣を遇するに朝敵を以つてした」(『異説日本史』p.101)ことの根拠としています。
・『〔日本史学新説〕』(史学普及雑誌社 [1892])
星野恒「楠氏は永き朝敵たりき」(p.68-71)
・『異説日本史 第4巻 人物篇4』(雄山閣編輯局/著 雄山閣 1931)
「楠木正成 朝敵赦免・子孫の有無」(p.99-105)
なお、『〔日本史学新説〕』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能です。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770755
37-38コマ(2021/1/31現在)
前述の『三光院故実清譚(三内口訣経内記)』は三条西実澄(1511-1579)の著で、綸旨など38の項目に有職故実のことを解説したものです。
・『新校群書類従 第20巻 雑部 2』(塙保己一/編纂 名著普及会 1977)
のp.626-639に『三内口決』と題して掲載されています(解説はp.25-26)。当該箇所はp.628です。
・『楠木正成と悪党:南北朝時代を読みなおす(ちくま新書)』(海津一朗/著 筑摩書房 1999.1)
「第二章「忠臣」の実像」「1 楠木正成と日本人」(p.42-79)の「朝敵赦免前後の思想状況」(p.75-78)には北朝によって統一された後も、楠木一族が一貫して幕府に背いたため「朝敵」として扱われたことが記されています。そして、当時の人々の楠木一族への見方を『看聞日記』と『碧山日録』の2つの史料から引用しています(p.76-77)。
『看聞日記』は以下の史料集に収められています。
・『続羣書類従 補遺4 看聞御記』([塙保己一/[編] 続群書類従完成会 1933)
永享9年8月3日の条「抑楠兄弟被討云々。(略)朝敵悉滅亡。天下大慶珍重無極(朝敵ことごとく滅亡す、天下の大慶、珍重極なし)」(p.479)。
『碧山日録』は以下の史料集に収められています。
・『改定史籍集覧 第25冊 新加別記類』(近藤瓶城/編 近藤圭造/改定版編輯兼校訂 臨川書店 1984.4)
寛正元年3月28日の条。「南朝将軍之孫楠木某、與其儻竊謀反(後略)」とあり、謀反が発覚し楠木の子孫が処刑されたことについて、正成が斬った人頭はいく万級をしらず、強半は無辜の民を戮殺した報いだ、とあります(p.202)。
(2)楠木正成が赦免されたという記録について
(1)で触れたように、風潮で「朝敵」とみなされていたようですが、以下のような史料が存在していますので、赦免されたと考えてよいと思います。
・『史料綜覧 巻10 室町時代4』(東京帝国大学文学部史料編纂所/編纂 内閣印刷局朝陽会 1938)
永禄2年11月20日の条に「楠木正成ノ罪ヲ赦シ、尋デ、其裔楠虎ヲ河内守ニ任ズ」とあり、出典に「楠文書」、参考に「諸家系図纂」「系図纂要」「歴朝要紀」が挙げられています(p.484)。以下のサイトで本書の草稿を見ることができます。
「大日本史料総合データベース」(東京大学史料編纂所)(2021/1/31現在)
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1559/13-2-2/9/0053?m=all&s=0053
出典の「楠文書」については、以下の資料に詳しい解説と内容が記されています。
・『村田正志著作集 第2巻 南北朝史論』(村田正志/著 思文閣出版 1983)
「第四章 古文書研究」「第五節 楠文書の研究」(p.352-365)のp.355-356に永禄2年11月20日の正親町天皇による赦免の綸旨と女房奉書が記載されています。赦免の綸旨は以下のとおりです。
「建武之比、先祖正成依為朝敵、被勅勘、一流已沉淪訖、然今為其苗裔、悔先非、恩免之事歎申入之旨、被聞食者也、弥可抽奉公忠切之由、天気如此、悉之以状、
永禄二年十一月廿日 右中弁(花押) (万里小路輔房)
楠河内守殿」
なお、この史料は、先に紹介した2冊にも記載されています。
・『〔日本史学新説〕』(史学普及雑誌社 [1892])p.69-70。
・『異説日本史 第4巻 人物篇』(雄山閣編輯局/著 雄山閣 1931)p.99-100。
[事例作成日:2021年1月31日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 10版)
- 参考資料
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- 足利尊氏文書の研究 1 小松/茂美∥著 旺文社 1997.9 (8)
- 園太暦 巻4 [洞院/公賢∥著] 続群書類従完成会 1971 (313)
- 〔日本史学新説〕 史学普及雑誌社 [1892] (68-71)
- 異説日本史 第4巻 雄山閣編輯局∥著 雄山閣 1931 (99-105)
- 新校群書類従 第20巻 塙/保己一∥編纂 名著普及会 1977 (628)
- 楠木正成と悪党 海津/一朗∥著 筑摩書房 1999.1 (75-78)
- 続羣書類従 補遺4 [塙/保己一∥編] 続群書類従完成会 1933 (479)
- 改定史籍集覧 第25冊 近藤/瓶城∥編 臨川書店 1984.4 (202)
- 史料綜覧 巻10 東京帝国大学文学部史料編纂所∥編纂 内閣印刷局朝陽会 1938 (484)
- 村田正志著作集 第2巻 村田/正志∥著 思文閣出版 1983 (355-356)
- https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/770755 (『〔日本史学新説〕』(国立国会図書館デジタルコレクション)(2021/1/31現在))
- https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/T38/1559/13-2-2/9/0053?m=all&s=0053 (「大日本史料総合データベース」(東京大学史料編纂所)(2021/1/31現在))
- キーワード
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- 南北朝(ナンボクチョウ)
- 楠木正虎(クスノキマサトラ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪,人物・団体
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000295561