レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/02/19
- 登録日時
- 2021/03/17 00:30
- 更新日時
- 2021/03/17 00:30
- 管理番号
- 6001048849
- 質問
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解決
大阪中央公会堂で宮川松安が楽浪曲を発表したイベントの開催日を知りたい。
- 回答
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まず、宮川松安が楽浪曲を発表したことについては、次の資料に記載がある。
■『愛と美』8(1)(姉様学校 1934.1)
「宮川松安君の楽浪曲発表 『悉達太子の出城』に満場皆泣く」(p.62-63)
記事中には楽浪曲を発表したイベントの開催日は記載はないが、この記事が昭和9(1934)年1月の発行の雑誌に掲載されていることから、「昭和9年1月以前」に開催されたものと考えられる。
■『志賀志那人 思想と実践 大阪叢書』(志賀志那人研究会/編 和泉書院 2006.11)
p.123-124の注(27)に「楽浪曲の発表会」について記載されているが、「楽浪曲の発表会の詳細についてはいくつかの説がある。」とある。
これらの説のうち、会場が「大阪中央公会堂」もしくは「中之島公会堂」で、昭和9年1月以前に開催されたという条件に合う説についての記述は次のとおり。
「一九三三(昭和八)年一二月二六日の新聞記事にみられるラジオ番組欄には、同年一二月一二日に大阪中央公会堂で初演したとしるされている」(p.123)
この新聞記事は、『読売新聞』1933年12月26日付朝刊10面の「新浪花節は遠慮し十八番を語る」のこととある。該当記事を確認すると次のとおり。
■『読売新聞』1933年12月26日 朝刊 10面(読売新聞記事データベース「ヨミダス歴史館」で確認)
「新浪花節は遠慮し十八番を語る」という記事に、次の記述がある。
「宮川松安さんは親友派の取締で、去る十二日大阪中央公会堂で洋楽伴奏による新浪花節楽浪曲の処女作「出城の王子」を作曲者藤井清水氏のピアノ伴奏で初演して斯界の注目を集めたが、未だ研究の余地があるのでラヂオでの発表は遠慮し、お馴染の南部坂をたつぷりお聴かせするのである。」
この記事から、イベントは「昭和8年12月12日」に開催された可能性が高いと考え、昭和8年12月11日から13日までの新聞記事を確認したところ、次の新聞記事があった。
■『大阪朝日新聞』昭和8年12月11日 朝刊 13面(朝日新聞記事データベース「聞蔵2ビジュアル」で確認)
「ピアノ浪曲公演」という小さな記事があり、次の記述がある。
「宮川松安のピアノ伴奏浪花節「入城の太子」のはじめての一般公演は十一日午後六時から大阪中央公会堂で行はれると」
この記事によると、12月11日に開催されたようである。なお、12月12日、13日の紙面には該当する記事は見当たらなかった。
[事例作成日:2021年2月19日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 大衆演芸 (779 10版)
- 参考資料
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- 愛と美 姉様学校 8(1-7)<85-91> 欠:4号
- 志賀志那人思想と実践 志賀志那人研究会∥編 和泉書院 2006.11 (123)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000295308