レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/12/28
- 登録日時
- 2023/03/24 00:30
- 更新日時
- 2023/03/24 00:30
- 管理番号
- 6001060153
- 質問
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解決
1978年に行われた仁徳天皇陵古墳の特別参拝に関する資料はあるか。
- 回答
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仁徳天皇陵古墳(大山古墳・大仙陵古墳)の特別参拝に関する資料は以下の通りです。
■『広報堺 昭和53年(322-333号)』(堺市広報課 1978)
第331号(1978年10月号)p.[1]に「仁徳陵の特別参拝 10月10日~15日」の記事があり、「現在の参拝所よりもさらに奥へ入って、一重堀前から特別参拝できます」とあります。
第332号(1978年11月号)p.7に「仁徳陵に人の列 六日間で約六万人も」の記事があり、写真(白黒)には大勢の人が訪れる様子が写っています。
■『仁徳陵:この巨大な謎』(中井正弘/著 創元社 1992.12)
p.92に「堺市制九十周年の昭和53年(1978年)の秋とその後一度、1週間前後の期間、「仁徳陵一般公開」などといった表現の新聞記事が掲載され、全国から大きな期待を持って数万人が訪れたが、このときも、前方部に面した一般拝所から36m奥にある特別拝所まではいれただけであった」とあります。
■『百舌鳥古墳群をあるく:巨大古墳・全案内』(久世仁士/著 創元社 2014.7)
p.66に「1978年10月10日から6日間、宮内庁は堺市の市政90周年にあたって特別参拝区域での参観を認めました。初日にはなんと2万3000人の一般市民が押しかけました。特別参拝区域とは、正面排所から第2堀を渡ったところで、大臣や知事クラスが参拝できるところとされています」とあります。
●『毎日新聞(大阪)マイクロ版 昭和53年10月(上)』(毎日新聞大阪開発株式会社 1978)
昭和53年10月10日 朝刊 22面
「特別公開 きょうから 仁徳天皇陵」の記事に「宮内庁が堺市の要請に応じ市制九十周年の記念事業の一つとして許可」「一部とはいえ同陵の公開はこれが初めて」とあります。
●『サンケイ新聞 昭和53年10月上』(産業経済新聞大阪本社 1978)
昭和53年10月11日 夕刊 8面
「仁徳陵の特別公開が始まる 初日から入場ラッシュ」の記事に以下の記述があります。
「大阪・堺市にある世界最大の古墳・仁徳天皇陵の陵域内特別公開が十日からはじまり、初日は二万五千人の人出で、何度も入場制限が行われるほどの混雑となった。堺市の市制九十周年事業のひとつとして、宮内庁が従来は第三堤の駒寄せまでしか入ることができなかった一般市民の参拝区域を三六メートル奥の第一堤玉垣まで広げたもので、これまで国賓などにしか立ち入りが許されなかったところ。特別参拝期間は十五日までの六日間と短く、好天に恵まれた十日は、ピクニックを兼ねた家族連れや歴史愛好家たちが、開門より二時間半も早い午前七時半ごろから詰めかけた。」
●読売新聞(データベース「ヨミダス歴史館」で確認)
昭和53年9月23日 朝刊 22面
「仁徳陵 内堀まで公開」の記事に「宮内庁は、仁徳天皇陵(大阪府堺市大仙町)の特別参拝区域を来月十日から六日間、初めて一般開放することを決め、二十二日、堺市に通知した。これまで大臣や知事クラスだけしか参拝できなかった」とあります。
●朝日新聞(データベース「朝日新聞クロスサーチ」で確認)
昭和53年10月16日 東京 朝刊 13面
「仁徳陵参観に六万人」の記事に「宮内庁は大阪の堺市制施行九十周年を記念して、十日から堺市大仙町、仁徳天皇陵の「特別参拝地域」を初めて一般公開していたが、最終日の十五日で参観者は計約六万人(堺北署調)に上った」とあります。
[事例作成日:2023年3月2日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- 広報堺 堺市広報課 昭和53年(322-333号)
- 仁徳陵 中井/正弘∥著 創元社 1992.12
- 百舌鳥古墳群をあるく 久世/仁士‖著 創元社 2014.7 (p.66)
- 毎日新聞(大阪)マイクロ版 毎日新聞大阪開発株式会社 昭和53年10月(上)
- サンケイ新聞 産業経済新聞大阪本社 昭和53年10月上
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000330935