レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/01/23
- 登録日時
- 2021/02/10 00:30
- 更新日時
- 2021/02/10 00:30
- 管理番号
- 6001048411
- 質問
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解決
大阪市に昔あった郷について知りたい。
- 回答
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まず「郷」については次の資料に説明がある。
■『国史大辞典 5 け-こほ』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1985.2)
p.276に「ごう 郷」の項目があり、「律令国家の地方行政組織の末端単位」とある。
この項の記述によると、もともと「里」と称した国・郡の下部組織が霊亀元年(715)に「郷」に改名され、やがて「郷」の下に「里」を置く「郷里制」に改編されたものの、天平12年(740)には「里」が廃止され、「以後郷制として展開した」とある。
また、「十世紀から十一世紀にかけて、郡下の行政単位としての郷は郡と併存する国内単位所領の郷へ(中略)と大きく改編変質する」とも記載されている。
■『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
冒頭の「地名用語」に「郷」の項があり、次の記述がある(p.13)。
「国郡制の最末端の行政区画である。平安中期には,約4,000郷を数えたが,平安後期から律令制の郷制は崩壊し,別に50個1郷にこだわらない自然村落的郷が発生,太閤検地の村制まで続いた。」
次に、現在の大阪市域にあった「郷」については、次の資料に記述がある。
■『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
「地誌編」の「大阪市」の項には、次の記述がある。
「律令制下における当市域は,『和名抄』に見える以下の各郷が比定される。摂津国住吉郡住道(すんじ)・(中略)・河内国渋川郡邑智(おおじ)・賀美郷の27郷。ほかに,住吉郡伎人(くれ)・田辺・神戸(かんべ),百済郡百済・荒陵(あらはか)郷が比定される。」(p.1283)
個々の郷については、「地名編」でそれぞれの郷名の項を見ると解説がある。
■『新修大阪市史 第1巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1988.3)
「第6章 奈良時代の難波 第1節 律令制下の難波」に「摂津国と難波の郡・郷」の項(p.761-768)がある。大阪市域のうち摂津4郡(西成、東成、百済、住吉)の郷について述べられている。
また、現在の大阪市域としては「河内国の丹比郡・渋川郡・茨田郡の一部も大阪市域に入る」と記載されている。(p.762)
■『日本歴史地名大系 28‐[1] 大阪府の地名』(平凡社 1986.2)
「摂津国」の章(p.56-94)に摂津国各郡の説明があり、それぞれの郡の項に郡下の郷について解説されている。
現在の大阪市域の郡としては、「西成郡」(p.76-84)、「東成郡」(p.84-88)、「百済郡」(p.88-89)、「住吉郡」(p.89-93)が該当する。郡の節では、最初にそれぞれの郡の総説があり、それから郡下の各郷についての項がある。
なお、大阪市域のうち「河内国」に属した郷については、同書の2巻目に記載がある。
■『日本歴史地名大系 28‐[2] 大阪府の地名』(平凡社 1986.2)
「河内国」の章(p.757-819)に、「渋川郡」(p.784-787)、「丹比郡」(p.804-809)、「茨田郡」(p.770-773)の節がある。
■『大阪市の歴史』(大阪市史編纂所/編 創元社 1999.4)
「第2章 古代の大阪」の「摂津の国の郡と郷」の節(p.39-44)に郡ごとに所管の郷についての記述がある。
[事例作成日:2021年1月23日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 10版)
- 参考資料
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- 国史大辞典 5 国史大辞典編集委員会∥編 吉川弘文館 1985.2 (276)
- 角川日本地名大辞典 27 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1983.10 (13、1283)
- 新修大阪市史 第1巻 新修大阪市史編纂委員会∥編集 大阪市 1988.3 (762)
- 日本歴史地名大系 28‐[1] 平凡社 1986.2 (76-93)
- 日本歴史地名大系 28‐[2] 平凡社 1986.2 (770-773、784-787、804-809)
- 大阪市の歴史 大阪市史編纂所∥編 創元社 1999.4 (39-44)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000293673