レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年5月19日
- 登録日時
- 2024/02/25 10:28
- 更新日時
- 2024/03/19 11:23
- 管理番号
- 中央-1-0021709
- 質問
-
未解決
さいたま市南区の武蔵野線の橋梁に「合の谷」という名前が書かれているが、「合の谷(あいのたに)」というのは、古くからの地名に由来しているのか。「合の谷」の言われや情報について、できるだけ詳しく知りたい。
- 回答
-
古地図や住宅地図に「合の谷」「合ノ谷」の記載は確認できたが、由来については分からなかった。
- 回答プロセス
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(インターネットの最終アクセス確認日 2024年3月6日)
おおよその場所を把握するため、住宅地図で確認。
『ゼンリン住宅地図埼玉県さいたま市 8』 ゼンリン 2021年
町名一覧には「合の谷」の記載なし。白幡3丁目の地図を確認したところ、「合の谷ガード」や「合の谷レンタル」の記載があった。
『浦和市史 第4巻[1] 近代資料編1』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1975年
p113下 北足立新座郡各村字届出書の中に白幡村の字として届出あり。「合ノ谷(あいのや)」(明治16年)
●地名辞典、地誌資料を調べる
×『日本歴史地名大系 11 埼玉県の地名』 平凡社 2004年
×『角川日本地名大辞典 11』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1980年
白幡村の項目内の小字一覧にもなし。
×『大日本地誌大系 13 新編武蔵風土記稿第7巻』 雄山閣 1981年
×『大日本地名辞書 第6巻』 吉田東伍/著 富山房 1980年
△『武蔵国郡村誌 第2巻』 埼玉県/編纂 埼玉県立図書館 1954年
p65-68「白幡村」に「合の谷」なし。
p69-71「根岸村」の字地(p70)に「上合の谷」という小字あり。「合の谷」と関係があるのか不明。由来については記述なし。
p75-78「文蔵村」の字地(p76-77)に「西合の谷」と「東合の谷」という小字あり。「合の谷」と関係があるのか不明。由来については記述なし。
●市史、地名研究資料を調べる
×『さいたま市博物館研究紀要 第7集』 さいたま市立博物館/編 さいたま市立浦和博物館/編 さいたま市立博物館 2008年
×『さいたま市地名の由来 地名からわかること』 青木義脩/著 幹書房 2013年
×『浦和市史 第4巻[2] 近代資料編2』 浦和市総務部市史編さん室/編 浦和市 1979年
p59「昭和十二年改正新町名・旧大字・小字一覧」→白幡も合の谷も記載なし。
付録「埼玉県浦和耕地整理組合原形図(大正11年)」にも記載なし。
×『埼玉「地理・地名・地図」の謎 意外と知らない埼玉県の歴史を読み解く!』 山本博文/監修 実業之日本社 2014年
×『埼玉地名の由来を歩く』 谷川彰英/著 ベストセラーズ 2017年
×『地名は語る 埼玉の歴史と伝承』 埼玉新聞特別編集委員室/取材・執筆 埼玉新聞社 2019年
×『さいたま地名考』 岩井茂/著 さきたま出版会 1998年
×『さいたまの地名 改訂版』 埼玉県県民部自治文化振興課/編 埼玉県県民部自治文化振興課 1987年
×『埼玉史談 2012年01月号(通巻308号)』
p23-31高柳茂「荘園に関する小字地名について」
×『浦和 No51』 「浦和」編集室 1973年
p34「浦和の地名を訪ねて3(岸,別所,白幡,辻,道祖土,宿,町屋,道場)」
風土記稿や郡村誌からの抜き書きのみで、合の谷の情報なし
×『浦和市史調査報告書 第7集』 浦和市総務部市史編さん室/編集 浦和市 1979年
上木崎~白幡地域の民俗調査資料。
p25 白幡の項
小字の解説に「白幡の小字には、上の台、番場、本宿、中曽根があった」とあり、合の谷の記載なし。
●過去の住宅地図を調べる
『日興の住宅地図浦和市 1973』 日興商事出版 1973年
p159~160 武蔵野線北側に「合谷」(索引では「合ノ谷」)の記載あり。
1974~1976年の住宅地図は未所蔵。1977年以降の浦和市住宅地図には「合ノ谷」の記載はなかった。
●その他地図を調べる
×『中山道分間延絵図 五街道分間延絵図全百三巻之内 第1巻 板橋・蕨・浦和・大宮』 児玉幸多/監修 東京美術 1976年
解説篇のp33~34 白幡村の項
「村の北方に本宿の地名が残り、この地が浦和宿のものであったといわれている」など地名について記述はあるが、「合ノ谷」は出てこない。時代が古すぎると思われる。
×『明治前期測量2万分1フランス式彩色地図 第一軍管地方二万分一迅速測圖原圖覆刻版 埼南7』 日本地図センター 1997年
「埼玉県武蔵国足立郡浦和駅新座郡内間木村」(明治13年12月)
白幡村の記載はあるが、細かい地名なし。
↑この地図は「歴史的農業環境閲覧システム」の比較地図でも閲覧可能。
https://habs.rad.naro.go.jp/
古地図集を確認する。
△『浦和古地図集[複製] 1 浦和耕地整理図、新興浦和、浦和市全図(地形社発行)、浦和市全図(浦和市役所発行)昭和13年』
地形社発行・発行年不明の「浦和市全図」複製2枚目に「合ノ谷」の小字を確認できるが、由来は分からず。
△『浦和古地図集[複製] 2 浦和市全図(昭和18年)高野保平発行、浦和市全図(昭和18年)浦和市役所発行』
浦和市全図(昭和18年)高野保平発行の複製3枚目に「合ノ谷」の小字を確認できるが、由来は分からず。
浦和市全図(昭和18年)浦和市役所発行の複製3枚目に「合ノ谷」の小字を確認できるが、由来は分からず。
△『浦和古地図集[複製] 3 浦和市壱部町名地番改正図(昭和12年)、浦和市全図(昭和26年)浦和市役所発行』
浦和市全図(昭和26年)浦和市役所発行の製3枚目に「合ノ谷」の小字を確認できるが、由来は分からず。
△『浦和古地図集[複製] 6 浦和市全図[地理学研究所]、最新浦和市全図[須原屋書店]、実測番地入浦和町地図[古澤勇]、最近調査浦和町明細地図[中村朝次郎]』
浦和市全図[地理学研究所]昭和26年の複製2枚目に「合ノ谷」の小字を確認できるが、由来は分からず。
△『浦和古地図集[複製] 7 浦和市全図』
「浦和市全図」(中央地図株式会社製作 昭和40年)の複製3枚目に「合ノ谷」の小字を確認できるが、由来は分からず。
×S290.38『浦和古地図集[複製] 4 埼玉県浦和耕地整理組合確定図』
×S290.38『浦和古地図集[複製] 5 浦和市全図、最新浦和町案内全図』
→昭和18年(1943年)、昭和26年(1951年)、昭和40年(1965年)の「浦和市全図」に「合ノ谷」の小字を確認できた。ただし由来は分からない。
白幡は旧六辻町(六辻村)に属するため、、「六辻」で調べてみる。
×S213.4『六辻の回顧と展望』 旧六辻町合併三十周年式典実行委員会 1972年
●他機関のサイトから調べる
・埼玉県立文書館ホームページ
https://www.lib.pref.saitama.jp/local/opac/search-detail.do?lang=jal
収蔵資料検索システムを「合の谷」「合ノ谷」で検索 → 1件ヒット
「16730 , ○ , 街路事業 , 浦和都市計画道路整備事業 , 計画課 , 昭和35~38年度」
“件名キーワード2”に「合の谷下耕地線南浦和跨線橋」とあるが、地名に関連した資料ではない。
・埼玉関係データベース(埼玉県立図書館作成)
https://www.lib.pref.saitama.jp/local/opac/search-detail.do?lang=jal
「合の谷」「合ノ谷」で検索したがヒットせず。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 10版)
- 関東地方 (213 10版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 合の谷
- 合ノ谷
- 浦和市
- さいたま市南区
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000346601