レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008/05/20
- 登録日時
- 2009/01/23 02:11
- 更新日時
- 2009/01/27 13:14
- 管理番号
- 埼浦-2008-037
- 質問
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解決
ヘルマンヘッセの3人目の妻、ニノン・アウスレンダーの生まれたハプスブルク君主国のクローソラント地方の州部チュルノヴィッツ(現ウクライナ領)を含む1895年頃の地図がみたい。
- 回答
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以下の資料を紹介する。
『ハプスブルク帝国史 中世から1918年まで』(刀水書房 1989)の巻末「19世紀ハプスブルク帝国」にチェルノヴィツあり。
『図説ハプスブルク帝国衰亡史 千年王国の光と影』(原書房 1996)付表 全体図にチェルノヴィツ(チェルネウーチ)」あり。
『ロシア 地図で読む世界の歴史』(河出書房新社 1999)p117 バルザック作戦(1914-1942年)にチェルノヴィツあり。
- 回答プロセス
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『東欧を知る辞典』(平凡社 1993)を〈チュルノヴィッツ〉や〈クローンランド〉で検索するが、該当なし。『世界地名大辞典 2』(朝倉書店)を〈チュルノヴィッツ〉で検索するが該当なし。
《Whoplus》を〈ニノン〉〈ニノン アウスレンダー〉で検索するが、該当なし。
歴史地図を調査。〈世界歴史地図〉〈ハプスブルク帝国〉〈ウクライナ〉〈ロシア〉などをキーワードに検索。
『ラルース世界歴史地図』『ヨーロッパ歴史地図』に〈チェルノフチ〉や〈チェルノヴィツ〉の記載はあるが、年代が異なる。
『ハプスブルク帝国史』『図説ハプスブルク帝国滅亡史』『ロシア 地図で読む世界の歴史』に掲載されている地図の年代が求めているものに該当した。
- 事前調査事項
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同人誌「りべるたす」に「ニノンとヘルマンヘッセ」という論文の掲載あり。その中にニノンが1909年に14才であった、という記述があり、また、250年間オスマントルコに属していたという記述も出てくるので1895年頃にはオスマントルコ領であったと思われる。
- NDC
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- ヨーロッパ (293 9版)
- 参考資料
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- 『ハプスブルク帝国史 中世から1918年まで』(ゲオルク・シュタットミュラー 刀水書房 1989)
- 『図説ハプスブルク帝国衰亡史 千年王国の光と影』(アラン・スケッド 原書房 1996)
- 『ロシア 地図で読む世界の歴史』(ジョン・チャノン 河出書房新社 1999)
- キーワード
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- ロシア-歴史
- 地図
- ハプスブルク帝国
- チュルノヴィッツ-クローソラント-ウクライナ
- Hesse Hermann(ヘッセ ヘルマン)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000051017