レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/03/24
- 登録日時
- 2020/03/25 00:31
- 更新日時
- 2021/01/09 14:00
- 管理番号
- 茨城-2019-091
- 質問
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解決
芹沢外記について知りたい。昭和のはじめ頃に八代村で小学校の校長をしていたらしい。県議員を務めたこともあったらしい。
- 回答
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『茨城県議会史 資料編』(茨城県議会史編さん委員会,茨城県議会事務局,1979)
P.41「常任委員会」
昭和32年の厚生労働委員名簿に名前あり。
P.72「政党会派」
昭和31年3月8日に発足した自由民主党の党員53名の中に名前あり。
P.104「議員略歴」
顔写真と略歴あり。
「芹沢外記(明治二八-昭和四六)
行方郡玉造町大字芹沢四七五。茨城師範学校卒。行方郡八代村尋常高等小学校長を経て,樺太庁視学となる。戦後,現原村長,現原農協組合長,県医療連理事を経て,昭和三○年,六○歳で県議に当選,民主党に所属した。当選一回(昭和三○年)。」
『芹沢家の歴史』(芹沢雄二,1974)
本文P.96「維新への道」
「昭和四五年(一九七二)には,三雄の子外記によって,芹沢城址の碑が建てられた」とあり。
本文P.98~99「父母を弔ふ」
外記の息子・雄二の書いた文章中に,外記の経歴,息子から見た人物像などが記載されている。
「物心めぐまれぬなかで成長し,母親が工面して茨城師範を卒業させ,茨城県の教育界に入った。三十一才の時行方郡八代小学校長になったが,その後樺太に転出,樺太教育会で重きをなして居る」
「古武士的な風貌が印象的で,努力家で克己心が強く,熟慮断行の男らしい人物であった反面,豪放に酒を飲む愉快な面もあり,酒の座席でのエピソードが多い」
ほか,史料編には芹沢家の系図や家譜が掲載されている。
その他確認資料
×「潮来町史」(潮来町史編さん委員会/編,1996)
×「八代村村勢要覧 昭和7年度」(八代村,1932)
×「ふるさと牛堀」(ふるさと牛堀刊行委員会/編,牛堀町,2001)
- 回答プロセス
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(1)県議会議員とのことから「茨城県議会史」を確認。
(2)OPACを「芹沢」で検索して郷土資料を確認。
(3)八代村→牛堀町→潮来市なので町史を確認。
- 事前調査事項
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『行方教育百年史』茨城県行方郡教育会(資料番号:001052632005)
- NDC
- 参考資料
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茨城県議会史編さん委員会 編 , 茨城県議会. 茨城県議会史 資料編. 茨城県議会事務局, 1979.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001420528-00(当館請求記号:イ334.1/6/B) -
芹沢 雄二/著 , 芹沢 雄二 , 芹沢 雄二. 芹沢家の歴史. 芹沢雄二, 1974-02.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I062765548-00(当館請求記号:イ273/セリ/)
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茨城県議会史編さん委員会 編 , 茨城県議会. 茨城県議会史 資料編. 茨城県議会事務局, 1979.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000276642