レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009/07/02
- 登録日時
- 2009/11/11 02:12
- 更新日時
- 2009/11/26 11:11
- 管理番号
- 埼熊-2009-036
- 質問
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解決
阿部正次(江戸時代初期の岩槻藩主)が鹿沼から大多喜に転封したとの記述がある資料(史料)はあるか。
- 回答
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当館の調査では、正次の加増された所領の中に鹿沼も含まれていることはわかったが、そこに居住としていたとの記述がある資料(史料)は見あたらず。
- 回答プロセス
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鳩ヶ谷から大多喜に移ったいう記述のある史料。
『藩屏年表 1』
p170 元和3年の項に「阿部備中守正次 九月十八日政朝播磨熊野に移ル。同月日正次武蔵鳩谷ヨリ移ル、八千石加増合三万石(管譜)」とある。
これによれば元和3年までの本拠地は鳩ヶ谷で直接大多喜に移動したことになる。
以下の資料には鹿沼が所領に加えられたという記述はあるが、居住したとする記述はない。
『鳩ケ谷市史 通史編』p354-「阿部氏と鳩ヶ谷」の項
『恩栄録・廃絶録』p51によると鳩ヶ谷や鹿沼ではなく、相模一宮から上総大多喜に移ったことになる
このことについて『徳川実記』『譜牒余録』『寛政重修諸家譜』をあたってみたが、一宮から移ったという記述は見つからなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 9版)
- 参考資料
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- 『藩屏年表 1』(柏書房 1984)
- 『鳩ケ谷市史 通史編』(鳩ヶ谷市 1988)
- 『新訂増補 国史大系39 徳川実記』(吉川弘文館 1990)
- 『譜牒余録 中』(国立公文書館内閣文庫 1973)
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『寛政重修諸家譜 10 新訂』(続群書類従完成会 1984)
- キーワード
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- 阿倍正次(アベ マサツグ)
- 関東地方-歴史
- 下野国-鹿沼藩
- 栃木県-鹿沼市
- 上総国-大多喜
- 千葉県-大多喜町
- 大名-江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000059396