1.明治期の正一位が「虚位」として扱われている理由について
明治期の正一位が「虚位」として扱われている理由について記述している資料は見当たりませんでした。
明治2年7月の「職員令」は『法令全書 第2巻 明治2年』(内閣官報局/編 原書房 1974.7)【320.9/15】の263頁に記載されています。これはインターネットで、国立国会図書館の「日本法令索引〔明治前期編〕」(下にURLを記しています)で閲覧することも可能です。
明治2年7月8日「職員令」の官位相当表に「正一位並大少初位虚位仍テ之ヲ省ク」と書かれています。『国史大辞典』に記載のあった位階制度はこれに当たります。
「日本法令索引〔明治前期編〕」
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787949/161・『日本史に出てくる官職と位階のことがわかる本』(新人物往来社 2009.10)
139頁から近代編ですが、位階よりも官職や勲章の記述が中心となっています。明治初年の正一位が虚位となった記述はありませんでした。
※「官位相当表」における正一位の「虚位」としての扱いですが、これは、推測の域を出ませんが、明治2年の制定時に正一位に相当する官職がなかったために表の上では「省略」したに過ぎず、正一位がなかったわけではないのではないでしょうか。
事実、これ以後に三条実美や岩倉具視は後に叙位されています。
2.平安以降の正一位との関連について
明治初年の位階制度に関する以下の論文を確認しました。
・西川誠「明治期の位階制度」『日本歴史 第577号 (特集 官職と位階)』(吉川弘文館 1996.6)101-120頁
近代における位階と席次について解明した論文です。明治30年代までの位階制について述べられています。
「おわりに」で西川氏は「位階は明治零年代に、歴史的伝統ゆえに叙位は継続しながらも、官位相当制は廃止され、また早々に宮中の席次を表すものとしての性格を喪失した」と書いています(117頁)。
なお、論中に華族制度の創出に際して「位階」に関する法令案が大久保利謙『華族制の創出(大久保利謙歴史著作集3)』(吉川弘文館 1993)【210.6/62N/3】の「内規取調曲における『貴族令』諸案』」(402-418頁)に基づいて記述されています。この本も明治期の位階制度を調べるには適した資料と思われます。
西川論文を含む『日本歴史 第577号』は特集が「官職と位階」です。西川氏に他に、
吉川真司「律令官制論」
青山幹哉「中世武士における官職の受容:武士の適応と官職の変質」
池亨「武家官位制再論」
鶴田啓「近世大名の官位叙位過程:対馬藩主宗義倫、義誠に事例を中心に」
箱石大「幕末期武家官位制の改変」
佐々木隆「明治時代の内閣顧問と班列」
諸氏の論文が掲載されています。合わせて、ご参照ください。
・藤井譲治「明治国家における位階について」『人文学報 第67号』(京都大学人文科学研究所 1990.12)126-143頁
明治国家における位階制の役割と意味を論じたものです。西川氏の論文同様に明治30年代までの位階制について述べられています。
藤井氏は明治2年7月の官位制について、「この時点での位階制は、律令制での官位相当制に倣った形をとって、あらたに作り上げられた官職制と深く結び付き絡まって存在していたのである」と記述しています(128頁)。
西川氏の論文にもあったように、明治期の叙位制度は近世以前のそれとは一線を画すものと考えておられます。
『人文学報 第67号』は中之島図書館の所蔵となりますが、論文本文をインターネットで読むことは可能です。
CiNiiの検索結果から「機関リポジトリ」を選択し、「フルテキストリンク」の「67 126.pdf」をクリックします。
『人文学報 第67号』
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48333/1/67_126.pdf3.最後の生前正一位について
最後の生前正一位の「岩倉具視」と書かれておりますが、生前正一位の最後は三条実美かと思われます。
国立公文書館のデジタルアーカイブで『公文類聚 第七編 明治十六年 第九巻 賞恤四 賞賜二』の画像を見ることができます。
これは、明治16年7月23日に亡くなった岩倉に「太政大臣」を贈る文書ですが、「故前右大臣従一位大勲位岩倉具視へ太政大臣ヲ贈ル」と書かれています。
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/MetSearch.cgi『国史大辞典』第1巻の844頁にも「贈太政大臣、のち贈正一位」とあります。
一方、三条実美については明治24年2月18日に亡くなった翌日の三条の国葬を取り行う決定の勅令に「故内大臣正一位大勲位公爵三条実美」と書かれています。
これも、国立公文書館のデジタルアーカイブで見ることができます。
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto三条への正一位の叙位は彼の亡くなる明治24年2月18日に行われています。
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/759523/294 GeNiiの検索結果、「CiNii PDF オープンアクセス」と書かれている論文は、ご自宅のパソコンでその論文を読むことが可能です。お試しください。