レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019年08月22日
- 登録日時
- 2020/09/16 13:41
- 更新日時
- 2021/01/08 13:31
- 管理番号
- 広県図実習2020-05
- 質問
-
解決
河東碧梧桐が広島に来たことが分かる資料があるか。
- 回答
-
参考資料1『かんべ 漢辨』第123号(平成25年5月),可部郷土史研究会【雑誌】
p.11 「河東碧梧桐の句碑」助信淳子
「碧梧桐は明治四十二年、新傾向俳句を推し進めるために全国行脚を開始、(略)広島へも、三段峡、帝釈峡、竹原や尾道などと足を運び、南原峡の句は、昭和八年(一九三三)の旅中のものだそうです。」
上記資料に参考文献として掲載されていた,次の資料を調査した。
参考資料2『広島県文化百選 6 作品と風土編』【H30/H73-2/6ア】
p.96-97 「中国の三渓流 河東碧梧桐 山県郡戸河内町・他」
p.96 「「中国の三渓流」とは、三段峡、長門峡、帝釈峡のこと。俳人河東碧梧桐は大正十五年(一九二六)にこの三渓流を踏査して、随筆一編を残した。」
p.96 「松山出身の作者は、広島県内にも多くの足跡を残し、この三段峡や帝釈峡のほかにも、広島をはじめ竹原や尾道など各地に何度も足を運んだ。」
参考資料3『広島県現代文学事典』【H90/イワフ110ア】
巻末の索引に「河東碧梧桐」あり。
p.29-34 尾道と文学
p.33 尾道にゆかりのある俳人としてあげられている。
p.97-100 俳人
p.98に「子規没後、新聞「日本」の俳句欄選者であった河東碧梧桐が中国地方巡遊の途次、広島を訪れたのは昭和八年(一九三三)十二月、その記念ともいうべき句碑が南原峡にある。なお、碧梧桐は、明治四十三年(一九一〇)十一月の竹原、尾道等の周遊をはじめ、幾度も来広し、多くの句を残している。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 詩歌 (911)
- 参考資料
-
- 1『かんべ 漢辨』第123号(平成25年5月),可部郷土史研究会【雑誌】 (p.11 「河東碧梧桐の句碑」助信淳子)
- 2『広島県文化百選 6 作品と風土編』中国新聞社/〔編〕,1989 (p.96-97 「中国の三渓流 河東碧梧桐 山県郡戸河内町・他」)
-
3『広島県現代文学事典』岩崎文人/編,勉誠出版,2010
(p.29-34 尾道と文学
p.97-100 俳人)
- キーワード
-
- 河東碧梧桐
- 俳人
- 広島県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 人物 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000287225